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 君は語る。  明治四幎の冬ごろから深川富岡門前の裏長屋にひず぀の問題が起った。それは去幎の春から長屋の䞀軒を借りお、ほずんど居喰い同様に暮らしおいた芪子の女が、衚通りの小さい荒物屋の店をゆずり受けお、自分たちが商売をはじめるこずになったずいうのである。  母はおすたずいっお、四十歳前埌である。嚘はお鶎ずいっお、十八、九である。その人柄や蚀葉づかいや、すべおの事から想像しお、かれらがここらの裏家に䜏むべく育おられた人たちでないこずは誰にも芚られた。 「あれでも士族さんだよ。」ず近所の者はささやいおいた。  かれらは自分たちの玠姓を぀぀んで掩らさなかったが、この時代にはこういう人びずの姿が到るずころに芋いだされお、零萜した士族――それは誰の胞にも浮かぶこずであった。女ふたりが幟ら玄しく暮らしおいおも、居喰いでは長く続こう筈もない。今のうちに早く盞圓の婿でも取るか、嚘の容貌のいいのを幞いに盞圓の旊那でも芋぀けるか、なんずかしたらよかろうにず、蔭では䜙蚈な気を揉むものがあったが、痩せおも枯れおも盞手が士族さんであるから、うか぀なこずも蚀われないずいう遠慮もあっお、呚囲の人たちも唯いたずらにかれらの運呜を眺めおいるばかりであった。  それがこの䞃、八月ごろからだんだん工面が奜くなったらしく、母も嚘も秋から冬にかけお、新しい袷や綿入れをこしらえたのを、県のはやい者がたちたち芋぀け出しお、それからそれぞず吹聎した。それだけでも井戞端のうわさを䜜るには十分の材料であるのに、その芪子がさらに衚通りぞ乗出しお、たずい小さい店ながら、荒物屋の商売をはじめるずいうのであるから、問題がいよいよ倧きくなったのも無理はなかった。  しかし䞀方からいえば、それはさのみ䞍思議なこずでもないのであった。この䞃、八月ごろから二十五、六の若い男が時どきたずねお来お、なにかの䞖話をしおいるらしい。男の身蚱は刀らないが、ずもかくも小綺麗な服装をしおいお、月に二、䞉床は欠かさずにこの路地の奥に姿をみせおいる。そうしお、おすた芪子に察する圌の態床から掚察するず、どうも昔の䞻埓関係であるらしい。おそらく昔の家来すじの者が旧䞻人のかくれ家をさがし圓おお、奇特にもその䞖話をしおいるのであろう。芪子が今床新しい商売を始めるずいうのも、この男の助力に因るこず勿論である。  こう考えおみれば、別に䞍思議がるにも及ばないのであるが、奜奇心に富んでいるこの長屋の人たちは、䞍思議でもないようなこの出来事を無理に䞍思議な事ずしお、曎にいろいろのうわさを立おた。 「いくら昔の家来すじだっお、今どきあんなに芪切に䞖話をする者があるか。䜕かほかに子现があるに盞違ない。おたけに、あの人は掋服を着おいるこずもある。」  この時代には、掋服もひず぀の問題であった。あるお䞖話焌きがおすた芪子にむかっお、それずなく探りを入れるず、母も嚘もふだんから淑たしやかな質であるので、あたり詳しい説明も䞎えなかったが、ずもかくもこれだけの事をかれらの口から掩らした。  ここぞたずねおくる男は、おすたの屋敷に奉公しおいた若党の村田平造ずいう者で、維新埌は暪浜の倖囜商通に勀めおいる。この六月、䞡囜の広小路で偶然かれにめぐり逢ったのが始たりで、その埌芪切にたびたび尋ねお来おくれる。そうしお、ただ遊んでいおは困るであろうずいうので、圌が癟円あたりの金を出しおくれお、衚通りの店をゆずり受けるこずになった。――こう刀るず、すべおが想像通りで、いよいよ䞍思議はないこずになるので、長屋の人たちの奜奇心もさすがにだんだん薄らいで来た。そのあいだに、おすた芪子は衚の店ぞ匕移っお、造䜜などにも倚少の手入れをしお、十二月の朔日から商売をはじめた。 「銎れない商売ですからどうなるか刀りたせんが、村田が折角勧めおくれたすので、ずもかくも店をあけお芋たすから䜕分よろしく願いたす。」ず、おすたは近所の人に蚀った。  前にもいう通り、この芪子は行儀のよい、淑たしやかな質であるので、近所の人たちの気受けもよかった。二぀には零萜した士族に察する同情も幟分か手䌝っお、おすたの荒物店は盞圓に繁昌した。士族の商法はたいおい倱敗するに決たっおいたが、ここは䜙ほど運のいい方で、あくる幎の五、六月ごろには芪子二人の質玠な生掻にたず差し支えはないずいう芋蟌みが付くようになった。  そうなるず、嚘のお鶎さんももう歳頃であるから、早くお婿を貰っおはどうだず勧める者も出お来た。以前は士族さんでも、今は荒物屋のおかみさんであるから、近所の人たちも自然に遠慮がなくなっお婿の候補者を二、䞉人掚薊する者もあったが、おすた芪子はその厚意を感謝するにずどたっお、い぀も䜓よく拒絶しおいた。それでは、あの村田ずいう人をお婿にするのかず露骚に蚊いた者もあったが、おすたはただ笑っおいるばかりで答えなかった。  しかし埓来の関係から掚察しお、かの村田ずいう男がお鶎の婿に決められたらしいずいう噂が高くなった。以前はあたり身だしなみもしなかったが、お鶎もこのごろは髪を綺麗に結い、身なりも小ざっぱりずしおいるので、容貌のいいのがたた䞀段ず匕立っおみえた。  九月の初めである。この圓時はただ旧暊であるから、朝倕はもう薄ら寒くなっお来たので、お鶎は新しい袷を着お町内の湯屋ぞ行った。きょうは午頃から现かい雚が降っおいたので、お鶎は傘をかたむけお灯ずもし頃の暗い町をたどっお行くず、もう二足ばかりで湯屋の暖簟をくぐろうずする所で、物に぀たずいたようにばったり倒れた。鋭い刃物に脇腹を刺されお殆んど声も立おずに死んだのである。埀来の人がそれを発芋しお隒ぎ立おた頃には、雚の降りしきる倕暮れの町に加害者の圱はみえなかった。それが掋服を着た男であるずもいい、あるいは筒袖のようなものを着た女であるずもいい、その噂はたちたちであったが、結局ずりずめたこずは刀らなかった。  いずれにしおも、この䞍意の出来事が界隈の人びずをおどろかしたのは蚀うたでもない。係りの圹人の取調べに察しお、おすたはこういう事実を打明けた。 「わたくしの連合いは倧沢喜十郎ず申したしお、二癟五十石取りの旗本でございたしたが、元幎の四月に江戞を脱走しお奥州ぞたいりたした。その時に甚人の黒朚癟助ず、若党の村田平造も䞀緒に付いおたいりたしたが、連合いの喜十郎ず甚人の癟助は癜河口の戊いで蚎死をいたしたした。若党の平造はどうなったか刀りたせんが、身分の軜い者でございたすから、おそらく無事に逃げ延びたものであろうず存じおおりたすず、昚幎の六月、䞡囜の広小路でふずめぐり逢いたしたのでございたす。平造は案の通り、無事に奥州から萜ちおたいりたしお、それから暪浜ぞ行っお倖囜商通に雇われおいるず申すこずで、四幎のあいだに様子もたいそう倉りたしお、唯今ではよほど郜合もよいような話でございたした。  わたくし共は䞻人を倱い、屋敷も朰れおしたいたしお、芋る圱もなく萜ちぶれおおりたす。それを平造はひどく気の毒がりたしお、その埌は毎月二、䞉床ず぀暪浜から尋ねお来お、いろいろの面倒を芋おくれたすばかりか、来るたびごずに幟らかず぀の金を眮いお行っおくれたした。いっそ小商いでも始めおはどうだず申したしお、唯今の店も買っおくれたした。そのお蔭で、わたくし共もどうにかこうにか行き立぀ようになりたすず、平造はもうこれぎりで䌺いたせんず申したした。わたくし共もこの䞊に平造の䞖話になる気はございたせんから、それぎりで別れおしたっおもよかったのでございたすが  。嚘のお鶎は平造の芪切に感じたのでございたしょう。内々で慕っおいるような様子がみえたす。わたくしも出来るものならば、ああいう男を嚘の婿にしおやりたいずいう気も起りたしたので、金銭の䞖話は別ずしお、盞倉らず尋ねお来おくれるように頌みたした。そうしお、お鶎を貰っおくれないかずいうようなこずも仄めかしたすず、平造は嬉しいような、迷惑らしいような顔をしたしお、埡䞻人のお嬢さたをわたくし共の家内に臎すのは䜙りに勿䜓のうございたすからずいう、断りの返事でございたした。  そうは蚀うものの、平造もたんざら忌ではないらしい様子で、その埌も盞倉らず尋ねおたいりたした。八月のはじめに参りたした時に、わたくしは再び嚘の瞁談を持出したしお、䞻人の家来のずいうのは昔のこずで、今はわたし達がお前の䞖話になっおいるのであるから、身分の遠慮には及ばない。嚘もおたえを慕っおいるのであるから、忌でなければ貰っおくれず申したすず、平造はやはり嬉しいような困ったような顔をしお、自分は決しお忌ではないが、その埡返事は今床来る時たで埅っおいただきたいずいっお垰りたした。それから八月の末になっお、平造はたた参りたしたが、あいにくわたくしは寺参りに行った留守でございたしお、お鶎ず二人で話しお垰りたした。  その時に嚘ず差向いでどんな話をしたのかよく解りたせんが、平造は瞁談を承知したらしいような様子で、お鶎は嬉しそうな顔をしおいたした。しかしお鶎の話によりたすず、平造が垰るのを店先に立っお芋送っおいるず、ここらでは芋銎れない女の児が店ぞはいっお来たそうです。買物に来たのだず思っお、なにを差䞊げたすず、声をかけるず、その女の児は怖い顔をしお、おたえは殺されるよず蚀ったぎりで、出お行っおしたったずいうこずで  。うれしい䞭にもそれが気にかかるずみえたしお、それを話した時には、お鶎もなんだか忌な顔をしおおりたしたが、なに、子䟛の冗談だろうぐらいのこずで、わたくしは栌別に気にも止めずにおりたしたずころ、それから五、六日経たないうちに、嚘はほんずうに殺されおしたいたしたのでございたす。」  この申立おによるず、お鶎の死は平造ずの瞁談に䜕かの関係があるらしく思われた。しかもお鶎に察しお怖ろしい予告をあたえた少女は䜕者であるか、それは勿論わからなかった。おすたも留守䞭のこずであるので、その少女の人盞や颚俗を知らなかった。  ここにひず぀の疑問は、平造がおすた芪子に察しお、自分の䜏所や勀め先を明らかにしおいないこずであった。単に暪浜の倖囜商通に勀めおいるずいうだけで、かれはその以倖のこずをなんにも語らなかったのである。䞖間を知らない芪子はさのみそれを怪しみもしなかったのであるが、これほどの関係になっおいながら、それを明かさないのは少し䞍審である。圌は商通に寝泊りしおいるず蚀っおいたそうであるが、それがどうも疑わしいので、念のために暪浜の倖囜商通を取調べおみたが、どこにも村田平造ずいう雇人はなかった。圌はその埌、深川の旧䞻人の店に再びその姿をみせなかった。  お鶎殺しの犯人は遂に発芋されなかった。事件はすべお未解決のたたに終った。この幎の十二月に暊が倉っお明治六幎の正月は早く来た。したがっお、時候はひず月おくれになっお、今たでは䞉月ず決たっおいた花芋月が四月に延びた。  その四月の花芋に、ここの町内のひず矀れが向島ぞ繰出すず、矀集のなかに幎ごろ䞉十二、䞉の盛装した婊人ず二十六、䞃の若い男ずが連れ立っお行くのを芋た。その男は確かにあの村田平造であるず長屋の倧工のおかみさんが蚀った。ほかの二、䞉人もそうらしいずささやき合っおいるうちに、男も女も混雑にたぎれお姿を隠しおしたった。  その噂がたた䌝わっお、ここにいろいろの颚説が生み出された。  かの平造が暪浜の商通に勀めおいるずいうのは嘘で、圌はある女盗賊の手䞋になっおいるのだずいう者もあった。たた、かれが商通に勀めおいるのは事実であるが、姓名を倉えおいるので刀らないのである。䞀緒に連れ立っおいたのは倖囜人の掋功で、背䞭に䞀面の刺青のある女であるずいう者もあった。しかも、それらの颚説に確かな根拠があるのではなく、平造の秘密はお鶎の死ず共に、䞀皮の謎ずしお残された。いずれにしおも平造が去ろうずする時に去らせおしたえば、おすたの䞀家はなんの犍いを受けずに枈んだのであろう。それがい぀たでも母芪の悔みの皮であった。
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 明石哲䞉君は鋭い感芚の画家であり、「生きもの」に興味をも぀自然科孊者であり、しかも、最も人間の原始的なすがたを愛する詩人である。  圌はその性情ず肉䜓の特殊な偏向によるのであらうか、特にいはゆる「南方」の土ず空ずに惹かれ、屡々飄然ず䞀嚢を肩にしお海を枡り、赀道の陜を济びおひずり歓喜の叫びをあげた。  圷浪の芞術家ず呌ぶにはあたりに健康な圌の生掻から、求め埗るものは奇怪な幻想ではなくしお、初々しい感動である。いはゆる、「南方進出」を志す埒茩の䞀芋壮んなる意気よりも、私は、圌の皮膚ず血液が物語る「南囜のにほひ」をこの䞊もなく貎いものず思ふ。  蚘録の䟡倀は、必ずしも「知らしめる」こずのみにあるのではなく、寧ろ、「感じさせる」こずの深さ浅さによ぀お定るのである。事情通の玹介なるものが埀々にしお事情の底に觊れず、圌の絵筆ず䜕気なく曞きずめた日蚘の断片が、わが新占領地の颚物ず人情ずをこれほどたでにわれわれの胞に刻み぀けるずいふこずは、倧いに考ぞおみなければならぬ問題である。功利に曇らされない県ほどたしかなものはなく、ものを味はふ心ほど真実を぀かみ埗るものはないのである。  序に曞き添ぞれば、明石君が私の家の玄関に立぀ず、私には怰子の颚が吹いおゐるやうに芋える。 二千六癟二幎初倏
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数字の方䜍孊 数字の力孊 時間性通俗思考に䟝る歎史性 速床ず座暙ず速床   人は静力孊の珟象しないこずゝ同じくあるこずの氞遠の仮蚭である、人は人の客芳を捚およ。  䞻芳の䜓系の収斂ず収斂に䟝る凹レンズ。  第四䞖  䞀千九癟䞉十䞀幎九月十二日生。  陜子栞ずしおの陜子ず陜子ずの聯想ず遞択。  原子構造ずしおのあらゆる運算の研究。  方䜍ず構造匏ず質量ずしおの数字の性状性質に䟝る解答ず解答の分類。  数字を代数的であるこずにするこずから数字を数字的であるこずにするこずから数字を数字であるこずにするこずから数字を数字であるこずにするこずぞの疟患の究明ず詩的である情緒の棄堎  数字のあらゆる性状 数字のあらゆる性質 このこずらに䟝る数字の語尟の掻甚に䟝る数字の消滅  算匏は光ず光よりも迅く逃げる人ずに䟝り運算せらるこず。  人は星―倩䜓―星のために犠牲を惜むこずは無意味である、星ず星ずの匕力圏ず匕力圏ずの盞殺に䟝る加速床凜数の倉化の調査を先づ䜜るこず。䞀九䞉䞀、九、䞀二
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圌がXをそのたた䜿いたす
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12
 僕は嘗お、今日われわれが「新劇運動」ず称ぞるべきものは、明かに所謂近代劇運動なるものず区別しお考ぞなければならないこずを述べた。  珟代の日本に斌お、この二぀が、殆ど同様の意味に甚ひられおをり、倖囜劇の圱響ず刺激より出発した凡ゆる挔劇が等しく近代劇ず呌ばれ、新劇ず呌ばれおゐるずころに、僕は、珟代日本劇の行詰た぀た結果を発芋する。  問題は名称の劂䜕に圚るのではない。西掋に斌お必然に歎史的意矩を掲げお生れ来぀た近代劇が、偶々、日本に茞入され、その啓瀺によ぀お、日本䌝来の挔劇に䞀぀の革新運動が霎らされた事実を顧みおも、その革新によ぀お生れた䞀぀の挔劇様匏が、圚来の䌝統劇に察しお、近代劇の名を附せられるこずは、その根本に斌お著しい誀りを含んでゐる。よしこれに近代劇の名を蚱すにしおも、西掋の叀兞劇に察しお、日本近代劇は劂䜕なる立堎にあるのか、肯定的にせよ、吊定的にもせよ、この立堎が明かでない以䞊、日本近代劇は断じお西掋の近代劇ずその歩調を倶にするこずは䞍可胜である。  ここで欧米に斌ける近代劇運動の歎史を詳説する暇はないが、われわれが、真にその名に応はしき近代劇を有ち埗るためには、この意味に斌お、暫く日本叀来の挔劇的䌝統より離れ、䞀応欧米の叀兞劇ぞ県を泚ぐべきである。そしお、時代ず共に掚移した䞀面を芋極めるず同時に、時代を通じお成長した䞀面を察知すべきである。そこに、われわれが求める真の新しき挔劇様匏を発芋するであらう。その䞊で、曎に、日本圚来の挔劇に公平な批刀を䞋すがよい。そしおそこからは新しくはなくずも、われわれに最も芪しい矎的䌝統を求めるがいい。  われわれが自称する「近代劇」は、実際、あたりに歎史的必然性を欠いおゐる。これが぀たり文孊的生呜の皀薄な所以である。  西掋の近代劇は圓然生るべくしお生れた。日本の近代劇は偶然、倖囜劇の圱響から生れた。西掋の近代劇は、シェむクスピむダ、モリ゚゚ル、ラシむヌ、シルレルによ぀お耕された土壌の䞊に芜を吹いた。日本の近代劇は、云はばその芜を、近束、南北、黙阿匥の耕した土の䞊に移し怍ゑたのである。油断をすれば枯れるにきた぀おゐる。なぜなら、近束、南北、黙阿匥は、むプセン、チ゚ホフ、さおはマアテルランクなどを怍ゑるやうに土を耕しおはゐないからである。枯れないたでも花に銙りがないだらう。実に汁が少いだらう。これはどうしたらいいか。シェむクスピむダ、モリ゚゚ル、シルレルの耕した土を持぀お来るか、たたは、その土の代りになるやうな肥料を䞎ぞるのである。比喩が倉になるが、その土ずいふのは西掋劇の䌝統である。肥料ずいふのは、近代生掻の研究である。  むプセンの思想を論じ、チ゚ホフの手法を研め、マアテルランクの情調を云々するだけが、近代劇の研究だず思぀たら倧間違ひである。殊に、それだけで西掋劇がわか぀たず思぀たら倧間違ひである。  日本の近代劇は、どうもその蟺から出発しおゐるやうに思はれる。シェむクスピむダずむプセンずが、劂䜕なる点で結び぀いおゐるか、劇䜜家ずしおのシェむクスピむダは、劇䜜家ずしおのむプセンに劂䜕なるものを䌝ぞおゐるか、シェむクスピむダの戯曲が、戯曲ずしお䜕故に魅力をも぀おゐるか、その魅力が、むプセンの戯曲の魅力ず劂䜕なる共通点があるか、それが、戯曲の本質ず劂䜕なる関係があるか。ここたで研究の歩を進めれば、凡そ西掋劇の十分な理解が埗られるであらう。それから埌、シェむクスピむダが䜕故に叀兞劇䜜家ずされ、むプセンが近代劇䜜家ずされるかを考ぞお芋るがいい。われわれが珟圚自称しおゐる「われわれの近代劇」が、劂䜕に基瀎の危いものであるかに気が぀くであらう。  そこで䞀先づ、近代劇ずいふ名称を離れお考ぞよう。われわれは兎も角、圚来の日本劇から䞀局飛躍した挔劇を䜜り䞊げようずしおゐる。然し、われわれはそれほど、圚来の日本劇から離れなければならないであらうか。僕は今たで、西掋劇研究の必芁を力説し、殆ど圚来の日本劇を顧みないかのやうな論じ方をした。そしお、西掋劇の䌝統ず日本劇の䌝統ずが、盞容れない䞡極端をなしおゐるかの劂き意芋を述べた。この点をもう䞀局明かにしおおかなければならない。  西掋劇ず日本劇ずの比范問題は、皿を曎めお詳論する぀もりではあるが、芁するに、日本劇の䌝統は、その発達の経路ず完成の皋床に斌お独特のものでこそあれ、その本質に斌お、党く西掋劇の䌝統䞭にこれを芋出し埗ないものではない。ただ西掋に斌おは、発達の遅々たる、その結果、今日では芞術的挔劇ずしお、その存圚を認められない䞀぀の様匏ずな぀おゐるにすぎないのである。  西掋劇ずい぀おも色々の様匏があり、その様匏によ぀おは、今日われわれが䞀顧の䟡倀すら払ひ埗ないやうなものが実際あるのだから、それず同時に、同じ様匏には違ひないが、その芞術的䟡倀に斌お、取るに足らぬものも数限りなくあるのであるから、䞀抂に西掋劇から範を取るずいふこずは無論できないのであるが、これはもう云ふたでもないこずで、かういふ反駁は予めお断りしおおかねばならない。  さお、かういふわけであるから、日本劇の䌝統からわれわれがあるものを求めるずしおも、それは歎代の名優によ぀お完成され、掗煉された矎そのものであ぀お、文孊的様匏乃至は手法の䞊で、日本劇からでなければ埗られないずいふやうなものは先づ無いず芋お差支ぞあるたい。さうなるず、もう日本劇ず西掋劇ずを察立させる必芁もなくなるわけである。西掋劇の䌝統をそのたた取り入れお、それを新しい日本劇の䌝統ずしおも䞀向差支ぞはなく、埓぀お歌舞䌎劇には、新日本劇の実父ずいふ名を呈しおおくだけで、逊父の西掋劇には䞇事行末の面倒を芋お貰ふこずも、別段、䞍矩理な沙汰ではあるたいず思ふ。  それならば、新日本劇ずは劂䜕なるものであればいいか。珟圚の新劇ではいけないのか。どういけないのか。  僕は珟圚の所謂「新劇」なるものをかう芋おゐる。即ち、䞀぀は、歌舞䌎劇流の類型的心理乃至生掻を近代人の敏感さず繊现さを以お描き出さうずするもの、䞀぀は、近代粟神の䞀面を歌舞䌎劇的な冗挫極たる叙述に蚗さうずするもの。そしお、この二぀の型は、それぞれ、ある皋床たで芞術的に認められるべき䜜品を生んではゐるが、これを以お、新日本劇の根本的暹立ず目するこずはどうしおもできない。殊に、同時に、この䞡者に欠けおゐるものは、近代生掻の䞭に含たれる特殊な戯曲的雰囲気の把握である。近代人の鋭敏な感芚に蚎ぞる戯曲矎の創造である。  珟代の教逊ある芳衆は、思想の䞭に垞識以䞊のものを求めおゐる。感動の䞭に経隓以䞊のものを求めおゐる。䜜者の「物の芳方」ず、自分の「物の芳方」ずを比范するこずを知぀おゐる。これらの挔劇は、畢竟、これらの芳衆を満足させなければならない。垞識ずいひ経隓ずいひ、既に圚るものを指すのである。劂䜕に深遠なる思想も、䞀人がこれを説けば既に垞識である。どんなに激しい感動も、実生掻の䞭から䜕人も受け埗る感動は、すべお経隓である。芞術は、この思想、この感動から、䞀歩抜け出たものでなければならない。挔劇のみは、この点で他の姉効芞術に遅れおゐるこずを恥ずしない颚がある。  少し脇道に倖れたが、珟代日本に斌お、所謂、新劇ず称せられるものが、かくの劂き有様であるずすれば、これからの「新劇運動」ず称すべきものは、正に、圚来の所謂新劇に察しおこそ革呜の旗を翻すべきである。今日新劇団の発生を泚意しおゐるず、それは䜕れも、圚来の所謂「新劇」から䞀歩も出ようずしおゐない。圚来の新劇が払぀た努力以䞊の努力、探究以䞊の探究をしおゐない。埓来䞊挔せられお来た脚本を、埓来通りに、或は埓来よりも「少し達者に」挔出するこずを以お胜事了れりずしおゐる芳がある。たたたた「少し倉ぞお」挔出したずすれば、それは単に舞台装眮である。扮装である。気がきいたずころで、台詞のテンポ乃至は声の調子である。掟手に、地味に、明るく、暗く、悲劇的に、喜劇的に  さういふ「倉ぞ方」である。それも悪くはないが、それ以倖にも぀ず倧事な、も぀ず本質的な挔出䞊の改革点がある筈である。それは䞀぀の脚本を劂䜕に挔ずるかずいふ問題以䞊に、これからの挔劇を劂䜕に完成すべきかずいふ問題に觊れおゐるのである。そこたで行かなければ、本圓の新劇運動ずは云ぞない。  それがためには、先づ第䞀に脚本の撰定から埓来の暙準を改めなければならない。ここで具䜓的に述べるこずは差控ぞるが、芁するにこの皮の運動は、勢ひ芞術的にある傟向を取り易いものであるけれども、䞻矩や流掟は、挔劇の本質的芋地からすれば、さほど問題にしなくおもいい。ただ前に述べた「新しい日本劇」の暹立に奜たしい基瀎を䞎ぞる芁玠を具備した戯曲ならば、囜の内倖を問はず、時の新旧を問はず、これを䞊挔目録䞭に加ぞるがいい。  䜆し、その挔出は、あくたでも挔劇の本質矎を発揮すべき挔出でなければならない。戯曲がわか぀おゐるだけではいけない。戯曲を感じおゐなければ。戯曲に盛られおある生呜の韻埋的効果を、完党に舞台䞊に掻かし埗る自信がなければならない。これがためには、埓来の新劇団が行぀おゐるやうな皜叀の仕方では絶察に駄目である。ある劇団の劂きは、その皜叀の結果から芋れば、努力の皋床は十分ず思はれおも、その方法に斌お僕の望む所ずは遥かに隔りがあるやうである。これは所謂「新劇運動」を暙抜しおゐないのであるから、咎める方が無理でもあり、たたその方面で、将来どんな新しい挔劇が生れお来るかもわからないのであるから、その真䟡を今ここで即断するこずは早蚈であるが、今は、僕の理論を実行するものずしおの話である。それはさうず、皜叀の方法たでこの機䌚に説明するこずはできないけれど、芁するに今のやうな有様では、い぀たでた぀おも「新しい日本劇」は生れお来ないず云ふたでである。 「そんなこずはず぀くの昔、癟も承知である。やらうず思぀おもできないだけだ」ず、捚台詞を投げ付ける人もあるだらう。「金がなければ芝居はできない」ずは、これたで新劇運動に絶望した人の合蚀葉である。然しこれたで、新劇運動を起した人の倧郚分は、珟に金が無くおも芝居をした人なのである。そしお金が無か぀たから、その運動は無意矩であ぀たかず云ふず、決しおさうではなか぀たのである。  こんなこずを云ふのは䜙蚈なやうであるが、「そんなら自分でや぀たらどうだ」ず、倉に皮肉る人が無いずも限らないから断぀おおくが、僕は実際やりたくお堪らないのである。悲しい哉、芝居ずいふものには盞手が芁る。盞手ず云ふよりも盞棒が芁る。やかたしく云ぞば同志が芁るのである。人にやれず云ふのではない。然しながら、これたた誰ずでも䞀緒にやればいい蚳のものではない。僕は先づ機䌚ある毎に自分の意芋を発衚し、有力な共鳎者の出珟を埅぀おゐるのである。  新劇運動の䞀考察――甚だずり止めもない議論に終぀たが、䜕しろ皿を緎る暇がない。  終りに臚んで、新劇運動の䞀郚ずも芋るべき倖囜劇の移入に関しお、私芋を述べおおきたいず思ふ。  元来倖囜劇はわれわれ挔劇研究者にず぀お、独逞人が露西亜劇に察し、又は英囜人が独逞劇に察し、仏囜人がスカンヂナノィダ劇に察し、それぞれ有぀おゐるやうな興味、぀たり倖囜劇ずしおの興味以倖に、圌等が䞀様に、その囜の叀兞劇乃至は欧掲諞囜の共有ずも云ふべき、垌臘より文芞埩興期に至る叀兞劇に察しお有぀おゐる興味、それからもう䞀぀は、圌等が同時代の自囜䜜家に察する興味、この二぀の興味をも䜵せ有぀おゐるやうに思はれる。  われわれは、なんず云぀おも、日本の䜜家からよりも、倖囜䜜家から倚くのものを孊んでゐる。受け継いでゐるずは云はないそれず同時に、珟圚日本に生れ぀぀ある䜜品にやや倱望しお、倖囜の䜜品により倚くの期埅ず感興ずを有぀おゐるこずは事実である。  これは勿論過枡期の䞀珟象であらうが、さういふ堎合であるから、われわれが若し、倖囜劇をわれわれの舞台に䞊挔しようず思ぞば、以䞊述べたやうな興味を満足させなければならない。  そこで、第䞀の問題は翻蚳である。原語のたた䞊挔するこずができれば䞀番よいのであるが、色々の事情でそれが蚱されないから翻蚳をするのである。しおみれば、翻蚳の理想は云ふたでもなく、原語の解らない人にでも、その翻蚳を通しお、原語の解る人が原語を通しお味ひ埗るやうな味を䌝ぞるこずである。勿論理想に斌おである。蚘号ずしおの蚀葉は、たあある皋床たでそれができるずしおも、いよいよ挔出するずいふ段になるず、先づ俳優の扮装である。日本人がどう化けおも西掋人には芋えない。次に、動䜜ず衚情である。それこそ西掋人の真䌌はできるかもしれないが、す぀かり西掋人らしくなり切るこずは、特別の人間でない限り䞍可胜である。そこで、扮装も動䜜も衚情も、ある皋床たで「翻蚳」する必芁が生じお来る。蚀葉の方は適圓な蚳語が芋぀からなければなんずか説明で誀魔化しも぀くが、扮装、殊に動䜜や衚情になるず、さうは行かない。蚀葉の翻蚳には幞ひ翻案ず区別される䞀線を蚭け埗るが、動䜜や衚情の翻蚳は、倚くの堎合翻案にな぀おしたふ。その代り、動䜜や衚情は、翻蚳をしなくおも「原語」のたた通甚する堎合が可なり倚い。だんだん倚くなり぀぀ある。  ある女が自分の䞍幞な身の䞊を物語るずする。西掋の女はこの堎合、決しお笑顔を䜜らない。日本の女は、倧抵笑顔を䜜る。これが翻蚳劇の堎合だずどうなるか。笑顔を䜜れば、それは翻蚳ではなくお翻案になるのである。詮じ぀めれば倖囜劇をかういふ颚に挔出するこずが、果しお適圓であるかどうかずいふこずになる。少くずも、かういふ点たで考慮に加ふべきではないか。  前に述べた倖囜劇ずしおの興味は、倚少でも殺がれるこずになる。それはたあよいずしおも、その女の性栌や心理に倧きな隔りが生じる。それが䜜品党䜓に奜たしい結果を霎らさないこずは明かである。それが若し、党䜓がこの流儀に統䞀され調和されおゐるならただよいが、さうするず今床は、原䜜の「味」が出ないにきた぀おゐる。぀たり「別物」になる。それでもいいず䞻匵するものがあれば、僕は云ふであらう。「別物」にした䞊で猶䞔぀、原䜜に匹敵する芞術的効果を挙げるためには、必ず「原䜜の味」を誀りなく味ひ尜した䞊でなければならない。「わからないから、かうしお眮け」――そしお、それが「原䜜」を傷けるものであ぀た堎合、そのものの眪は正に死に圓るであらう。  くどいやうであるが、「日本人には解らない」ず思ひ、「解らうずしない」点に、ただただ倖囜劇の劙味が朜んでゐるやうに思はれる。これは倖囜劇の劙味ずいふばかりでなく、これからの新しい日本劇が、倚く孊ぶべき本質的魅力が朜んでゐるやうに思はれる。  倖囜の戯曲を日本人流に解釈し、日本人匏に感芚し、日本人颚に挔出するこずは、ただ早い。そんなこずを今のうちからしおゐるず、結局、倖囜の戯曲から「われわれに欠けおゐるもの」を芋出し埗ずにしたふだらう。䞀九二五・䞀
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 二䞉幎前の倏である。僕は銀座を歩いおゐるうちに二人の女を発芋した。それも唯の女ではない。は぀ず思ふほど埌ろ姿の奜い二人の女を発芋したのである。  䞀人は鷺のやうにすらりずしおゐる。もう䞀人は――この説明はちよ぀ず面倒である。叀来姿の奜いず云ふのは揚肥よりも趙痩を指したものらしい。が、もう䞀人は肥぀おゐる。䞭肉以䞊に肥぀おゐる。けれども䜓の吊り合ひは少しもその為に損はれおゐない。殊に腰を振るやうに悠々ず足を運ぶ容子は鎛鎊のやうに立掟である。察の瞞あかしか䜕かの着物にやはり察の絜の垯をしめ、圓時流行の網をかけた察のパラ゜ルをした所を芋るず、或は姉さんに効かも知れない。僕は䞁床この二人をモデル台の䞊ぞ立たせたやうに、あらゆる面ず線ずを鑑賞した。由来倏の女の姿は着おゐるものの薄い為に、――そんなこずは䞉十幎前から䜕床も婊人雑誌に曞かれおゐる。  僕はなほ念の為にこの二人を通り越しながら、ちらりず顔を物色した。確かにこの二人は姉効である。のみならずどちらも同じやうにスペむド圢の髪に結぀た二十前埌の矎人である。唯鎛鎊は鷺よりも幟分か噚量は悪いかも知れない。僕はそれぎりこの二人を忘れ、ぶらぶら埀来を歩いお行぀た。埀来は前にも云぀た通り、倏の日の照り぀けた銀座である。僕の圌等を忘れたのは必ずしも僕に内圚する抒情詩的玠質の足りない為ではない。寧ろハンケチに汗をふいたり、倏垜子を扇の代りにしたり、爍金の暑ず闘ふ為に心力を費しおゐたからである。  しかし圌是十分の埌、銀座四䞁目から電車に乗るず、盎に又圌等も同じ電車ぞ姿を珟したのは奇遇である。電車はこみ合぀おはゐなか぀たものの、空垭はや぀ず䞀぀しかない。しかもその空垭のあるのは䞁床僕の右鄰である。鷺は姉さん盞圓にそ぀ず右鄰ぞ腰を䞋した。鎛鎊は勿論姉の前の吊り革に片手を托しおゐる。僕は持぀おゐた本をひろげ、倏読たずずも暑苊しいマハトマ・ガンデむ䌝を埁服し出した。いや、埁服し出したのではない。埁服し出さうず思぀ただけである。僕は電車の動きはじめる拍子に、鎛鎊の䞀足よろめいたのを芋るず、応ち劂䜕なる玳士よりも慇懃に鎛鎊ぞ垭を譲぀た。同時に圌等の感謝するのを埅たず、さ぀さず其凊から遠ざか぀おした぀た。利己䞻矩者を以お任ずる僕の自己犠牲を行぀たのは偶然ではない。鎛鎊は顔を䞋から芋るず、長ながず錻毛を䌞しおゐる。鷺も亊無粟をきめおゐるのか、髪の臭さは䞀通りではない。それ等はただ奜いずしおも、圌等の熱心に話しおゐたのはメンスラテむオンか䜕かに関する臚床医科的の事実である。  爟来「倏の女の姿」は䞍幞にも僕には惚憺たる幻滅の象城にな぀おゐる。日盛りの銀座の矎人などは劂䜕に嬋嚟窈窕ずしおゐおも、う぀かり敬意を衚するものではない。少くずも敬意を衚する前には匀だけでも嗅いで芋るものである。   倧正十䞉幎六月
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     劎苊界ず戊争  ヱデンの園にアダム、神の犁を砎りし時、ヱホバは圌に告げお蚀ひけるは「汝は䞀生の間、劎苊しお其食を埗ん」ず。蓋し劎苊の䞖界は即ち戊争の䞖界なり。劎苊よりしお凡悩も利慟も迷盲も生ずるなれ、是等の者は即ち人生の戊争に察する肥糧なり。苟くも劎苊あらん限り、戊争の粟神は尜きぬなる可し。然れども、      戊争に察する偉人の理想  は、劎苊を以お敢お喪敗せざるなり。高朔厇高なる詩人哲孊者は悉く、戊争の邪念を悪む、而しお英雄䞭の英雄なる基督に至りおは堅く䞇民の盞戊ふを犁じたり。凡お人を詛ふの念を誡しめ、己れを詛ふ者を愛するをもお倩囜の極意ずせり。是れを、極めお簡にしお而しお極めお倧なる理想ず蚀はざらめや。人若し我が右の頬を摳たば、巊の頬をも向けお摳たしめよずは、豈倩地を円うする最倧秘蚣にあらずや。      蝞牛角䞊の傲児  䞖は挙げお圌等を欜慕す。歎山王、拿翁、シむザル、之を英雄ず称し豪傑ず呌ぶ、英雄は即ち英雄、豪傑は即ち豪傑、然れども胞䞭の理想に立入りお之を分析すれば、片々たる蝞牛角䞊の傲児のみ。      人を殺しお泣かざる者  䞀蟻螻を害す、なほ釈氏は憐れみに堪えざりし、䞀人を殺す、劂䜕ばかりの眪に圓らむ。況んや癟䞇の衆生を残害するをや。人を殺しお法埋䞊に眪を埗ざるものは䜙の知るずころにあらず、人を殺しお泣かざる者あらば、䜙が鞭、之に加ぞざらんず欲するも埗ず。      平和䞻矩ず「八犬䌝」  平和䞻矩を抱ける掋人某、曟぀お䜙ず「八犬䌝」を読む。我が巻䞭に入れたる揷画、腥ぐさき血を芋せざる者甚だ尠なり。平和家泣を啜぀お曰く、埀昔の日本は実に無量の眪悪を犯せり、われ幞にしお、圓時貎邊に遊ばず、若し遊びしならば、我は為に懊悩しお死せしならむず。蚀甚だ謔に近しず雖、以お文明ず戊争の関係を知るに足れり、戊争の粟神、幎を逐ふお枛じ行き、い぀かは戊争なき時代を芋るを埗んか。 明治二十五幎䞉月
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錺錠が朚から飛んできたした。
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侀  アメリカ数孊史を調べおいる途䞭、黒板の来歎ずいう問題に觊れたので、少しばかり曞き付けお芋よう。ただこれは䞻ずしお数孊の面のみからの考察に止たるので、䞭には倧きな誀りを冒しおいるかも蚈り難い。各方面の識者の埡瀺教をお埅ちする次第である。  わが囜で黒板が盛んに䜿甚されるようになったのは、䜕ずいっおも明治初幎に、アメリカ人による教育䞊の指導からである。明治五幎䞀八䞃二九月垫範孊校東京高等垫範孊校の前身が開かれたずき、倧孊南校の教垫であったスコットM. M. Scottを招いお、小孊校に斌ける実際の教授法を䌝えお貰った。スコットは母囜の垫範孊校出身者であり、東京の垫範孊校では、䞻ずしお英語ず算術を教えたが、教科甚曞や教具噚械の類は米囜からの到着を埅っお䜿甚したずいう。曎に翌幎には、ラトガヌス・カレッヂの数孊・倩文孊教授マヌレヌDavid Murrayが聘されお文郚省孊監ずなり、日本における教育の党面的指導に圓るこずになった。  さおマヌレヌが黒板の䜿甚を奚励したこずは、圌の報告曞から䌺うこずが出来る。 「各般ノ曞籍ヲ飜譯線茯シ、各般ノ噚械ヲ備具ス。即チ  懞圖・暡範塗板ノ劂キ既ニ之ヲ補造シテ、埞来煩倚キ方法ニ代ヘ、以テ廣ク之ヲ小孞校ニ採甚セリ。  垫範孞校ノ功甚ハ既ニ東京ニ蚭立セルモノニ斌テ、其寊驗ヲ衚セリ。  孞科ヲシテ理解シ易カラシメンガ爲、懞圖及塗板ヲ甚ヒ、  傍点は小倉」 今の東京教育倧孊の前身 今の東京倧孊の前身 『ダビット・モルレヌ申報』明治六幎。  垫範孊校で、黒板がスコットによっおどんな颚に䜿甚されたかは、『垫範孊校、小孊校教授法』明治六幎八月刊ずいう、垫範孊校長諞葛信柄らの校閲にかかる曞物によっおも明かである。その䞭には、算術の授業に黒板を䜿甚しおいる絵があり、そこには「図の劂く、教垫、数字ず算甚数字を呌で石盀に蚘さしめ、䞀同蚘し終りたるずき、教垫盀䞊に蚘し、これず照準せしめ、正しく出来たる者は各の手を䞊げしめ、誀りたる者は手を䞊げざるを法ずす」ず、曞かれおいる。  曎に校長諞葛信柄自身の著にかかる『小孊教垫必携』明治六幎十二月刊においおは、読物・算術・習字・曞取・問答などの教授法が述べられ、そこには黒板の䜿甚法も詳しく説かれおいる。䟋えば第八玚䞀幎玚の前半の習字に぀いおは、 「五十音圖ヲ甚ヰ、曞法ヲ説キ明シテ塗板ヘ曞シ、生埒各自ノ石盀ヘ曞セシムベシ  。生埒石盀ニ曞スルニ當リテ、或ハ现字ヲ曞シ、或ハ石盀党面ノ倧字ヲ曞シ、或ハ亂雜ニ曞スル等ノ䞍芏則ヲ生ズル故ニ、教垫塗板ヘ曞スルトキ、瞱暪ニ盎線ヲ匕キ、其内ニ正シク曞シ、生埒ヘモ亊歀ノ劂ク、石盀ヘ線ヲ匕キテ曞セシムベシ、塗板ヘ曞スルトキ、傍ラニ、字畫ヲ猺キ、又ハ筆順等ノ違ヘタル、䞍正ノ文字ヲ曞シテ、其䞍正ナルコトヲ説キ瀺シ、生埒ヲシテ其䞍正ヲ理解セシム  。塗板ヘ曞スルニ、字畫ノ倚キ文字ハ、二床或ハ䞉床ニ曞スベシ、必ズ䞀床ニ曞シ終ルベカラズ。  」  たた䟋えば第六玚二幎玚の前半の算術に぀いおは、 「  右ノ劂ク暗算ヲ教フルトキ、兌テ二段ノ加算ノ題ヲ塗板ニ曞シ、各ノ生埒ヲシテ䞀列同音ニ、加算九々ヲ誊シテ之ヲ加ヘシメ、其答敞ヲ塗板ヘ蚘スベシ、䜆シ其蚘シ方ハ、䜕レノ䜍ニ䜕敞ノ字ヲ曞スルダヲ生埒ニ尋ネ、然ル埌之ヲ曞スベシ。二段ノ加法ニ熟スル埌、䞉段以䞊ノ題ヲ塗板ニ曞シ、生埒各自ノ石盀ニテ之ヲ加ヘシメ、然ル埌䞀人ノ生埒ノ答敞ヲ塗板ヘ曞シ、各ノ生埒ニ照看セシメ、之ト同ゞキ者ニハ右手ヲ擧ゲシムベシ。若シ歀答敞正シカラザルトキハ、曎ニ又、他ノ生埒ノ答敞ヲ曞シテ、之ニ照準セシムベシ  」  䜕かあたりに圢匏的ではあるけれども、それは兎も角、たこずに至れり尜せりの、暡範的な説明振りではないか。黒板の䜿甚が比范的短日月の間に広く普及したのも、決しお偶然ではなかったず思う。 二  それなら黒板はアメリカで発明されたものなのか。吊、それは倚分䞀八䞀〇幎代に、フランス人によっおアメリカに䌝えられたものなのである。アメリカの普通の孊校では、独立戊争䞀䞃䞃五―䞀䞃八䞉前は勿論、独立埌の数幎間も、ただ石盀さえ䜿甚されおいなかった。生埒も教垫も、曞き物や算術蚈算を皆玙に曞いおいたのである。  ずころでボストンの牧垫メヌSamuel J. Mayずいう人の䌝蚘䞀八六六によるず、圌はカトリック教埒のフランス人ブロシりス垫Francis Xavier Brosiusが、数孊の孊校で黒板を甚いおいるのを、䞀八䞀䞉幎にはじめお芋た。それでメヌ垫は自分の孊校で黒板を䜿甚しはじめた、ずのこずである。  しかしアメリカの初等孊校に黒板の普及を芋るに至ったのは、倧䜓䞀八六〇幎頃からであるずいわれおいるが、そうするず、スコットは案倖はやく、新しい黒板を日本に普及させたこずになる。  もっずも倧孊やカレッヂの数孊教宀では、もっず早くから黒板が䜿甚された。それは䞀八二〇―䞀八四〇幎の期間に、アメリカの数孊界に倧きな圱響を及がした、りェスト・ポむント陞軍士官孊校における、数孊の教授から発したのである。  䞀八䞀二幎の米英戊争は、いろいろの意味で、アメリカ史の転換期ずいわれおいる。この戊争が終ったずき、りェスト・ポむント陞軍士官孊校の䞻脳郚は、ペヌロッパの陞軍制床調査研究の結果、フランスの゚コヌル・ポリテクニク高等理工科孊校を暡範ずしお、䞀八䞀䞃幎から士官孊校の改造を断行した。それでこの孊校は、圓時のアメリカにおける普通の倧孊などずは党く趣きを異にしお、最も数孊や理化孊を重芁芖するこずになり、それは若々しい教授たちによっお実珟されたのであるが、その䞀人にフランス人クロヌれヌClaude Crozetがあった。  クロヌれヌぱコヌル・ポリテクニクの卒業生、ナポレオン郚䞋の砲兵士官ずしお、ワグラムの戊䞀八〇九にも参加した人であったが、䞀八䞀六幎から、䞀八二䞉幎たで、りェスト・ポむントの工孊の教垫ずしお掻躍した。圌が軍事工孊――「戊争ず築城の科孊」――を教授しようずした時、その孊修䞊、先ず予備知識ずしお必芁な数孊から始めなければならなかった。その䞭に画法幟䜕孊があったのである。  思えばこの画法幟䜕孊ずいう孊問は、その創始者゚コヌル・ポリテクニクのモンゞュGaspard Mongeによっお公衚されおから、ようやく二十幎を超えたに過ぎない。そんな新しい孊問があるこずを知っおいた科孊者は、アメリカに䜕人もいなかったし、勿論それを教わった人もなければ、英語で曞かれた本もなかった時代である。教科曞もなければ、たたこの幟䜕孊は孊問の性質䞊口頭だけで教えるこずも出来なかった。そこでクロヌれヌは倧工ず絵具屋に頌み蟌んで、黒板ず癜墚を䜜らせたのである。「私たちが知っおいる限りでは、黒板の䜿甚はクロヌれヌに負うものである。圌はそれをフランスの゚コヌル・ポリテクニクで芋おいたのであった」ずは、圓時のりェスト・ポむント出身者の回想である。  考えお芋るず、私がこれたで挙げお来たマヌレヌ、スコット、ブロシりスのような人々は、皆䜕等かの意味で、数孊の関係者であった。しかしクロヌれヌこそは、孊問の性質䞊、最も本栌的な意味で黒板を䜿甚したずいうべきであろう。䞀八二䞀幎になっお、クロヌれヌは英文の画法幟䜕入門曞癟五〇頁ばかりのを著した。圌は「アメリカに斌ける画法幟䜕孊の父」ず呌ばれおいる。  りェスト・ポむントに斌ける画法幟䜕孊の講矩は、クロヌれヌが去った埌、りェスト・ポむントの出身者デノィヌスCharles Daviesによっお継続された。デノィヌスはクロヌれヌよりも遙かに倧郚な画法幟䜕の教科曞を曞いたばかりでなく、優秀な数孊教垫ずしお、たた倚くの数孊教科曞の著者ずしお、有名な人物ずなった。最初はフランス数孊曞の翻蚳から出発しお、非垞な成功を博したが、埌には算術の初歩から埮積分にわたる、圌自身の䞀聯の教科曞を著わした。それは非垞に普及したので、そのためにりェスト・ポむントの名を高くするこずになったのである。 侉  ずころで、私たちは、クロヌれヌの母校、パリの゚コヌル・ポリテクニクにたで遡らなければならない。この孊校こそは、「䞀九䞖玀の初めにおける、すべおの科孊の光は、゚コヌル・ポリテクニクから発しお、ペヌロッパに斌ける科孊的思考の進展を照した」ず呌ばれるほどの、「ペヌロッパの矚望」の的ずなった孊校である。それはフランス倧革呜の恐怖時代が終っお間もなく、生産拡充のための科孊技術者ず、優秀な砲工の士官を逊成する、二重の目的を以お、䞀䞃九四幎に開校されたのであり、その䞭心人物はモンゞュその人であった。  元来モンゞュは、築城術の蚭蚈のために、面倒な蚈算の代りに簡単な幟䜕孊的䜜図を考案したのを動機ずしお、䞀䞃六五幎頃には、既に画法幟䜕孊の建蚭を始めおいたのであった。しかしながらその方法は、軍事技術䞊の秘密に属するずいう理由で、革呜前の旧䜓制䞋に斌おは、公衚を犁止されおいたのである。今や革呜政府によっお゚コヌル・ポリテクニクが創立され、しかもそこでは孊問の性質䞊、画法幟䜕孊は䞀躍しお非垞に重芁な科目ずなり、モンゞュ及びその高匟によっお、極めお熱心に教授されるに至った。モンゞュは䞀八〇六幎たでは教授ずしお、その幎に䞊院議長ずなっおからも、䞀八䞀〇幎たでは匕き぀づき講矩をしたのであるから、クロヌれヌはモンゞュの盎匟子なのである。モンゞュは教授の際に、黒板や投圱図や曲面の暡型を甚いたばかりでなく、孊生の実習のために補図宀を蚭けた。かような蚭備は、圓時のペヌロッパにあっおは 、実に空前の蚈画だったのである。  元来、黒板のようなものは、或はもっず以前から、フランスで倚少は䜿甚されおいたのかも知れない。しかし黒板を他の科孊的暡型や噚具ずいっしょに、科孊、技術の教授研究䞊の芁具にした䞊に、その孊校の驚嘆すべき成功によっお、優秀な教科曞や諞蚭備ず共に、それを広く䞖界に普及させた点で、゚コヌル・ポリテクニクは倧きな圹割を果したずいわねばならぬ。たた、そういう意味で、“画法幟䜕孊ず黒板ずは、フランス革呜の副産物である”ずいっおも、倧した過蚀ではあるたいず考えられる。今日わが民䞻革呜の時代に圓り、私たちが黒板の前に立ったずき、われわれは深くこの偉倧な民䞻革呜――フランス革呜に぀いお、回想すべきである。 四  ここに至っお再び出発点に垰ろう。明治の初期に、わが教育がマヌレヌやスコットによっお指導されたずき、わが数孊界はどういう勢力の䞋に眮かれたのか。それは圓時圧倒的な勢力を占めたのは、いうたでもなくアメリカの数孊であった。しかも明治八幎頃たでの間最も有力であったのは、かのりェスト・ポむント陞軍士官孊校のデノィヌス――圌は埌には他に転じたが――の曞であった。それは独り原曞で広く読たれたばかりでなく、数皮の曞物が翻蚳され翻案されたのだった。圌の名は挢字で代嚁斯、第維氏などず曞かれた。  孊問文化䌝達の歎史は、倚く偶然的な芁玠に支配されるかのように芋えおも、必ずしもそうではない。問題はむしろ、䞻ずしお私たち自らの理論・分析の力の匷匱に係っおいるのである。 䞀九四䞃幎五月䞉日皿同幎「別冊文芞春秋」䞀〇月号 〔远蚘〕デノィヌスの業瞟ずその日本蚳に぀いおは、『数孊教育史』岩波曞店に詳しい。たた゚コヌル・ポリテクニクおよびモンゞュに぀いおは、『数孊史研究』岩波曞店第䞀茯および第二茯を参照されたい。
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僕はカヌテン越しに海を芋た
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さすがにレギュラヌの人が少ない
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Xがい぀も自分のなかに有る
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そんな機関にこんな情けない若造が所属しおいる蚳が無い
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侀  杜陵を北ぞ僅かに五里のこの里、人は䞀日の間に埀埩臎し候ぞど、春の歩みは幎々䞀週が皋を芁し候。埡地は早や南の枝に倧和心綻ろび初め候ふの由、満城桜雲の日も近かるべくず矚やみ䞊げ候。こゝは梅桜の蕟未だ我瞳よりも小さく候ぞど、さすがに春颚の小車道を忘れず廻り来お、春告鳥、雲雀などの讃歌、野に山に流れ、埮颚にうるほふ小菫の玫も路の蟺に萌え出で候。今宵は芝蘭の鉢の銙りゆかしき窓、茶煙䞀宀を眩め、沞る湯の音暢やかに、門田の蛙さぞ歌声を添ぞお、日頃無興にけをされたる胞も物ずなく安らぎ候たゝ、思ひ寄りたる二぀䞉぀、䗹々たる燈火の圱に芚束なき筆の歩みに認め䞊げ候。  近事戊局の事、䞀蚀にしお之を云ぞば、吟等囜民の倧慶この䞊の事や候ふべき。臥薪十幎の埌、甚だ高䟡なる同胞の資財ず生血ずを投じお莏ち埗たる光栄の戊信に接しおは、誰か満腔の誠意を以お歓呌の声を揚げざらむ。吟人劂䜕に寂寥の児たりず雖ども、亊野翁酒暜の歌に和しお、愛囜の赀子たるに躊躇する者に無埡座候。  戊勝の光栄は今や燎然たる事実ずしお同胞の県前に巚虹の劂く暪はれり。歀際に斌お、因埪姑息の術䞭に民衆を愚匄したる過去の眪過を以お圓局に責むるが劂きは、吟人の遂に忍びざる所、たゞ劂䜕にしお勝ちたる埌の甲の緒を締めむずするかの芚悟に至りおは、心ある者宜しく挺身肉迫しお叱咀督励する所なかるべからず候。近者北米オヌクランド湖畔の䞀友遙かに曞を寄せお曰く、飛電頻々ずしお戊勝を䌝ふるや、日本人の肩幅日益日益広きを芚え候ふず。嗚呌人よ、東海君子囜の䞖界に誇負する所以の者は、䞀に鮮血を怒涛に掗ひ、死屍を戊雲原頭に曝しお、汚塵濛々の䞭に功を奏する戊術の巧劙によるか。充実なき誇負は由来文化の公敵、真人の蛇蝎芖する所に候。奜んで酒盃に走り、祭兞に狂する我邊人は或は歎史的因襲ずしお、アルコヌル的お祭的の囜民性栌を䜜り出だしたるに候らはざるか。斯の千茉䞀遇の奜機䌚に圓り、同胞にしお若し悠久の光栄を蚈らず、埒らに䞀時の旗錓の勝利ず浮薄なる倖人の称讃に幻惑するが劂き挙に出でしめば、吟人は乃ち䌯叔ず共に䜙生を山谷の蕚草に托し候はむかな。早熱早冷の倧に誡しむべきは寧ろ戊呌に勇む今の時に非ずしお、华りお戊埌囜民の芚悟の䞊にあるべくず存候。䞇邊環芖の䞭に䞀倧急飛躍を挔じたる吟囜は、向埌劂䜕なる態床を以おか圌等の泚目を迎ぞむずする。掋涛䞇里を砎るの倧艊ず雖ども、停滞動く事なくむば汚銹腐蝕を免かれ難く、進路䞀床梶を誀らば遂に岩角の氎泡に垰せむのみ。況んや圢色埒らに倧にしお蚭備完たからざる吟珟時の状態に斌おをや。 二  惟ふに、少しく倫に通暁する者は、文化の源泉が政治的地盀に湧出する者に非ざるの事実ず共に、良奜なる政治的動力の文化の進皋に及がす助長的効果の事実をも承認せざる胜はず候。而しお斯の劂き良奜なる政治的動力ずは、垞に胜く囜民の思朮を先芚し誘導し、若しくは、少なくずもそれず䜵行しお、文化の充実を内に収め、䞇党の勢嚁を倖に垃くの実力を有し、以お自由ず光栄の平和を䜜成する者に有之、申す迄もなく之は、諞有創造的事業ず等しく、胜く囜民の理想を䜓達しお、䞀路信念の動く所、個人の暩嚁、心霊の呜什を神の劂く尊重し、盎埀邁進毫も撓むなき政治的倩才によ぀お経緯せらるゝ所に埡座候。吟人が今䞖界に発揚したる戊勝の光栄を曎に氞遠の性質に転じお、叀代垌臘の尊厳なる光茝を我が囜土に埩掻せしめ、吟人の思想、文孊、矎術、孊芞、制床、颚気の凡おをしお其存圚の意矩を䞖界文化史䞊に求めむが為めに、之が助長的動力ずしお芁する所の政治者は固より内隠忍倖倚傲然も事に圓りお甚だ小胆なる倪郎内閣に非ず、果たかの䌊藀や倧隈や束方や山県に非ずしお、実に時勢を掞芳する䞀倧理想的倩才ならざる可からず候。䞀䟋をあぐれば、其名独逞建囜の歎史を統ぶる巚人ビスマルクの劂きに候ふ可く、普仏戊争に際しお、非垞の声誉ず、莫倧の償金ず、アルサス、ロヌレンスず、烈火の劂き仏人の怚恚ずを担ふお、䌯林城䞋に雷霆の凱歌を揚げたる新独逞を導きお、敗れたる囜の文明果しお劣れるか、勝たる囜の文明果しお優れるかず叫べるニむチ゚の倧譊告に恥ぢざる底の発達を今日に残し埗たる圌の偉業は、圌を思ふ毎に思はず吟人をしお讃嘆せしむる所に候はずや。嗚呌今や我が新日本は、時を倉ぞ、所を倉ぞ、人皮を倉ぞお、東掋の、吊䞖界の、䞀倧普仏戊争に臚み、遠からずしお独逞以䞊の光栄ず、猜疑ず、怚恚ず、報酬ずを千代田城䞋に担ひ来らむずす。而も吟人はこの難関に立たしむべき䞀人のビ公を有し候ふや吊や。あらず、圌を生み出したる独逞の囜民的自芚ず、民族的理想ず自由の粟気ず堅忍進取の芚悟の萌芜を四千䜙䞇の頭脳より搟出し埗べきや吊や。勝敗真に時の運ずせば、吟人は、トルストむを有し、ゎルキむを有し、アレキセヌフを有し、りヰツテを有する戊敗囜の文明に察しお䜕等埌ぞに瞠若たるの点なきや吊や。果た又、我が父祖の囜をしお屈蟱の平和より脱せむが為めに再び正矩の名を借りお干戈を動かさしむるの時に立ち至らざるや吊や。曞しお茲に至り吟人は実に悵然ずしお転た倧息を犁ずる胜はざる者に候。嗚呌今の時、今の瀟䌚に斌お、倧噚を呌び倩才を求むるの愚は、蓋し街頭の砂塵より緑玉を拟はむずするよりも甚しき事ず存候。吟人は我が囜民意識の最高調の䞭に、党䞀の調和に基ける文化の根本的発達の垌望ず、愛ず意志の人生に斌ける意矩を拡充したる民族的理想の、䞀日も早く鬱勃ずしお珟はれ来らむ事を祈るの倖に、殆んど為す所を知らざる者に埡座候。 四月廿五日倜 侉  四月二十六日午埌䞀時。  倜来の春雚猶止たずしお䞀山颚静かに、窓前の柳束翠色曎に新たなるを芚え、空廊に響く滎氎の音、濡矜をふるふ鶯の声に和しお、艶だちたる幜奥の姿誠に心地よく候。この雚収たらば、杜陵は䞇色䞀時に発く黄金幻境に倉ず可くず被存候。  今日は十時頃に朝逐を了ぞお、小生の経隓によれば朝寝を嫌ひな人に、話せる男は少なき者に埡座候呵々二時間蚱り愛囜詩人キペルネルが事を繙読しお痛くも心を躍らせ申候。匵り詰めたる胞の動悞今猶静め兌ね候。抑々人類の「愛」は、䞇有の生呜は同䞀なりおふ根本思想の盎芚的意識にしお、党胜なる神嚁の尀も円満なる衚珟ずも申す可く、人生の諞有経緯の根底に斌お終始氞劫普遍の心的基瀎に有之候ぞば、囜家若しくは民族に察する愛も、䞖の道孊先生の蚀ふが劂き没理想的消極的理窟的の者には無之、実に同䞀生呜の発達に斌ける芪和協同の血族的因瞁に始たり、最埌の倧調和の理想に察する粟進の芳念に終る所の、人間凡通の本然性情に倖ならず候。熱情詩人、我がキペルネルの劂きは、この沈雄なる愛囜の粟神を䜓珟しお、其光茝長ぞに有情の人を照らすの偉人ず被存候。  時は千八癟十䞉幎、モスコヌの䞀敗蟛くも巎里に遁れ垰りたる倧奈翁に察し、普垝が自由ず光栄の矩戊を起すべく、䞉月十䞃日、倧詔䞀䞋しお軍を囜内に城するや、我がキペルネルは即日筆を擲぀お旗錓の間に愛囜の歩調を合し候ひき。圌は祖囜の䜿呜を以お絶倧なる神暩の告勅を実珟するにありずしたり。されば圌に斌おは祖囜の理想ず自由の為めに、尊厳なる健闘の人たるは実に其生存の最高の意矩、信念なりき。圌乃ち絶叫しお曰く、人生に斌ける最倧の幞犏の星は今や我生呜の䞊に茝きたり。あゝ祖囜の自由のために努力せむには劂䜕なる犠牲ず雖ども豈尊ずしずすべけむや。力は限りなく我胞に湧きぬ。さらば起たむ、この力ある身ず肉を陣頭の戊枊に曝さむ、可ならずや、ず。斯の劂くしお圌は、垝宀劇詩人の栄職を捚お、父母を離れ、恋人に袂別しお、血ず剣の戊野に奮進しぬ。陣䞭の生掻僅かに十六旬、䞍幞にしお虹の劂き二十有䞉歳を䞀期に、葉月二十六日曙近きガデブツシナの戊に敵匟を受けお瞑したりず雖ども、圌の胞䞭に芚醒したる理想ず其健闘の粟神ずは、今に生ける血ずなりお独逞民族の脈管に流れ居候。誰か圌を以お激情のために非運の最期を遂げたる䞀薄倖児ず云ふ者あらむや。ゲヌテ、シルレル、フナヒテ、モムれン、ワグネル、ビスマルク等を独逞民族の根ず葉なりずせば、キペルネルは疑ひもなく圌等の粟根に咲き出でたる、䞍滅の花に候。鉄階十䞇ラむンを圧しお南䞋したるの日、理想ず光栄の路に囜民を導きたる者は、普垝が朱綬の采配に非ずしお、実にその身は䞀兵卒たるに過ぎざりし䞍滅の花の、無限の力ず生呜なりしに候はずや。剣光満掲の空に閃めくの今、吟人が圌を懐ふ事しかく切なる者、又故なきに非ず候。  日露干戈を亀ぞお将に䞉閲月、䞖䞊愛囜の呌声は今殆んど其最高朮に達したるべく芋え候。吟人は圌等の赀誠に同ずるに斌お些の考慮をも芁せざる可く候。然れども匷盛なる生存の意矩の自芚に基かざる感激は、遂に火酒䞀酔の行動以䞊に出で難き事ず存候。既に神聖なる軍囜の議䌚に、露探問題を䞊したるの恥蟱を有する同胞は、宜しく物質の魔力に溺れむずする内心の状態を省みる可く候。省みお若し、挞く麻痺せむずする日本粟神を以お新たなる理想の栄光裡に埩掻せしめむずする者あらば、先づ正に我がキペルネルに孊ばざる可からず候はざるか。愛囜の至情は人間の矎はしき本然性情なり。個人絶察䞻矩の倧ニむチ゚も、普仏戊争に際しおは奮激犁ぜず、栄誉あるバアれルの倧孊講座を捚おゝ普軍のために䞀看護卒たるを蟞せざりき、あゝ今の時に斌お、圌を解する者に非ざれば、又吟人の真情を解せざる可く候。身を軍籍に措かざれば祖囜のために尜すの路なきが劂き、利子付きにお戻る囜債応募額の倚寡によ぀お愛囜心の皋床が蚈らるゝ䞖の䞭に候。嗟嘆、頓銖。 四  四月二十八日午前九時  今日は空前の早起臎し候ため、実は雚でも降るかず心配仕り候凊、春光嬉々ずしお空に䞀点の雲翳なき意倖の奜倩気ず盞成、明け攟したる窓の晎心地に、壁䞊のベクリンが画幀も垞よりはいず鮮やかに芋られ候。只今䞉時間蚱り、かねお小生の持論たる象城芞術の立堎より珟代の思想、文芞に察する挑戊の論策を線たむ䞋心にお、批評旁々、著者嘲颚先生より送られたる「埩掻の曙光」繙読臎候。然しこれは、到底この短き䟿りに述べ尜し難き事に候ぞば、今日は品を代ぞお䞀寞、盛䞭校友䌚雑誌のために聊か卑芋申進むべく候。或は之れ、な぀かしき杜陵の母校の旧恩に酬ゆる䞀端かずも被存候。  歀雑誌も既に第六号を刊行するに至り候事、嬉しき事に候ぞど、幎霢に䌎なふ思想の発達著るしからざるに城すれば、粟神的意矩に乏しき歊断䞀偏の校颚が今猶勢力を有する結果なるべくず、婆心たた倚少の嗟嘆なき䞍胜候。嘗お圚校時代には小生もこれが線茯の任に圓りたる事有之候事ずお、読過の際は充分の泚意を払ひたる積りに埡座候。  論文欄は毎号玙数の倧倚郚を占むるず共に、又垞に比范的他欄より幌皚なる傟向有之候が、本号も亊其䟋倖に立ち難く芋受けられ候。然れども巻頭の䞭通束生君が私埳論の劂きは、其文飛動を欠き粟緻を欠くず雖ども、枩健の颚、着実の芋、優に圌の気取屋党に䞀頭地を抜く者ず被存候。斯くの劂き思想の若し䞀般青幎間に流垃するあらば、健党なる校颚の勃興や疑ふ可からず候。同君の論旚が質朎謙遜に述べられおある䞈、小生も亊其保守的傟向ある所謂私埳に察しお仰々しく倫理的評䟡など䞋すたじく候。  歀文を読みお小生は、論者の実兄にしお吟等には先茩なる鈎朚卓苗氏を思出だし候ひき。荒川君の史論は、䜕等事盞発展の裡面に哲理的批刀を䞋す文明的史県の萌芜なきを以お、䞻芳的なる吟等には興味少なく候ぞ共、其考蚌粟密なる孊者颚の態床は、客気にはやる等茩䞭の䞀異色に候。小生は、単に過去の事蹟の蚘録統蚈たるに留たらば、歎史おふ興味ある問題も人生に察しお亳も存圚の意矩を有せざる者なる事に就きお、深沈なる同君の考慮を煩はしたく存候。吟人の暙準ずか題したる某君の囜家䞻矩論は、掚断陋劣、着県浅薄、由来皮盞の囜家䞻矩を、匥益皮盞に述べ来りたる所、皚気玛ずしお近づく可からず候。筆を進めお其謬芋の謬芋たる所以を粟窮するは評家の矩務かも知れず候ぞど、自明の理を管々しく申䞊ぐるも児戯に等しかるべく候に付、差控ぞ申候。盞沢掻倫君の論は、歀号の論客䞭尀も文に老緎なる者ず可申、君の感慚には小生亊私かに同情に堪ぞざる者に有之候。既にこの気抂あり、他日の行動嘱目の至りに埡座候。以䞋次号 「岩手日報」明治䞉十䞃幎四月二十八、二十九、䞉十、五月䞀日
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枡嘉敷守良君が戊争䞭を無事でゐたこずは、䜕にしおも、琉球芞胜にず぀お幞であ぀たず思ふ。戊争前に新垣束含が亡くなり、又最幞犏さうに芋えお、定めお円満な晩幎を遂げるだらうず思぀おゐた玉城盛重老人が、囜頭のどこかの村で、斃れ死んだず聞いおゐる。そんな䞭に、恰も琉球芞胜の呜脈を、この皋床に぀ゞけお行぀おくれるず蚀ふこずは、芞胜人にず぀お、どれ皋喜んでよい為事か蚣らない。枡嘉敷君は正にその䜍眮にゐる蚣だから、十分その名誉ず、曎に倧きな責任を負うおゐる事を自芚しおもらひたい。枡嘉敷君は特に女螊りの達人であるが、幎茩からしお、老人螊りを螊぀おも劂䜕にも優雅な味を瀺すやうにな぀お来た。舞や劇に優れおゐる事に、歀人の才胜を尊敬するよりも、たづ第䞀に、私などは、も぀ず歀人の人間の優秀なのを知぀おゐる。芞人らしくない、人間のよさにおいおは、前にあげた二人よりも出来た人間だず思぀おゐる。唯それだけに、人のよさから来る意志の匱さのあるのを、歎かずにはゐられない。あれだけ力を持ちながら、たゝ自信を倱ふこずがあるのではないか、ず蚀ふ気がする。又その呚囲にゐる人間に察しおも、も぀ず目を睜る必芁がある。さうした人の䞍心埗が、枡嘉敷君の欠点ずしお、人に写぀お来る。それよりもも぀ず惜しむこずは、男子の匟子を育おるだけの意力を欠いおゐる点である。沖瞄の螊りは、ち぀ずも女性の力に䟝頌するこずなく、氞い歎史を経おゐる。女螊りにしおも、女性の参加にたよるこずなく発達しお来ただけに、その良さも、すべお男性的な点にある。女性が琉球螊りに䞍適圓なこずは、尟類の螊りを芋おも蚣る。守良君がその名の劂く、沖瞄の螊りの良質を守り遂げようずするならば、も぀ず男性の螊り手を逊成しおくれなければいけない。又沖瞄の有志の方々も枡嘉敷ばかりに、芞胜の苊劎をさせるず蚀ふこずはない。あなた方はもずより、あなた方の子匟、及びそのほかの人々に螊りの教習を受けさす気にな぀おほしい。これだけは、䜕よりも先に気を揃ぞおしなければ、沖瞄の螊りは亡びる、の䞀途を蟿る倖にない。あたた方に、あなた方の嫌ふこずを匷ひるのではないから、私は楜しい気持ちで、この提案をあなた方にする。 たづ枡嘉敷に男匟子あれ。 これが枡嘉敷君䞊びに沖瞄同胞の方々に蚀ふ第䞀のこずばである。
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車があったらなぁ。
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いよいよ今日で月が終わりだ
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その情報が協䌚などのホヌムペヌゞに掲茉されたす
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 あるやんごずなき埡方の埡䞋問に奉答した私の蚀葉の芁玄を摘蚘する。  ――あなたのなさっおる陶噚研究ずいうのは釉薬の研究がむずかしいのですか。  ――それも䞀぀でございたすが、䞀番私の重きを眮いおおりたすのは䜜行でありたす。  ず申し䞊げたずころ、䜜行ずは  ず、重ねお埡䞋問があったので、  ――土の仕事、即ち土によっお成り立぀成圢䞊の矎醜に係わる点に斌お、芞術䞊から鑑る芳点でありたす。陶磁噚は、この土の仕事が芞術的䟡倀を充分に具えおいるこずを第䞀条件ずしたす。いかに矎しい釉薬が塗垃されおも、いかに力ある暡様が付されおも、土の仕事が䞍充分では面癜くないものでありたす。それに匕き換え、土の仕事が芞術的䟡倀を充分に具えたす堎合は、釉薬が掛かりたせんでも、少し曲りたしお出来そこねたしおも、所期の色沢が出たせんでも、元々根本の土の仕事の䜜行が良いのでありたすために、燊然ずしお有䟡倀に光を攟぀のでありたす。  ず申し䞊げさせおいただいた。そうしお、さらに蚀䞊した内容を摘蚘するず、こうである。  ――叀来、有名なる陶噚は、いずれもこの土の仕事が立掟に、芞術的芁玠を具える䞊に、さらに良き暡様が良き筆者に描かれ、たたその䞊に矎しい釉薬が掛かり、適圓の斜薬、適宜の無釉、あるいは圫王が斜される。実䟋を挙げお蚀えば青瓷、宋代に生たれた青瓷砧ずいう、あるいは雚過倩青ずいう優れたる青色釉のやかたしい青瓷も、所詮は土の䜜行が良いための良き色であっお、色の優れたるばかりではないのである。仮りに宋青瓷の釉薬が珟圚に生たれ出たずしおも、今の䜜家の力では、なんの問題ずもならぬであろう。ただ色が矎しいずいうだけであっお、宋青瓷を尊ぶような尊び方はしないであろう。䞇暊赀絵にしおも、叀染付にしおも、乃至朝鮮ものにしおも、いずれもいずれも土の䜜行が良いずいうこずが根本䟡倀ずなっお光圩を攟っおいるのである。叀瀬戞然り、叀唐接然り、仁枅、也山、朚米、あるいは柿右衛門、いずれもいずれも土の仕事が根本的に芞術的芁玠を具えお有名であるこずは争えない事実である。  そこで、私の補䜜䞊必然の欲求ずしお、孊者の欲求が垞に集曞にあるように、叀えより䌝えるずころの叀陶名噚を出来埗るかぎり聚集し、䞎えられるかぎり広く叀えを芋るこずに努めおいる。  釉薬の研究も倧事であり、決しお等閑にならぬものであるが、この土の䜜行を第䞀矩ずしお重く考えおいる。故に良い陶噚を䜜るこずは、別段にわざわざ構えお意匠の工倫を斜すにも及ばない。目新しいずいうようなこずを狙うにも及ばない。色に斌おも是非ずもこうでなくおはず決めおかかる芁はない。挫然ず新奇を衒うようなこずはなおさら思う芁もない。そもそも圢に斌ける意匠、釉薬衚珟の色調、着け暡様などによる賢しい働きは䞻ずしお理智のみによっお出来おいるのが珟代の芞術である。名は芞術であっおも、実は、芞術でもなんでもない、矎の衚珟を暙準ずした智恵比べである。垝展などの出品物を芋るず、絵画ず蚀わず、工芞ず蚀わず、いずれも意匠図案の智恵比べである。色調取り合わせの智恵比べである。このように䜜者の智恵比べのみによっお毎幎、柄ず暡様ず色調ずが仰々しく取り換えられる。それだけの仕事が垝展及びその他であるが、鑑賞家もたた䜜者同様に智恵を以お理智鑑賞をなすがために、ずもかく䞀時的に珟代矎術は支持されおいるようなものの、本圓のこず、芞術のこずは所詮智恵の問題ではないのである。実は真心の問題であり、熱情の問題であるのであるから、氞く埌に残る䜜品は知恵のみで䜜るこずはダメだずいうこずが明癜になるのである。  ずころで今日の状態は別ずしお、昔は劂䜕。昔はず顧るずき、叀えの人はいかに考えおも、今の人よりは真心が倚い。幎代を遡れば遡るほど、真心の持ち䞻が倚かったこずを幟倚の事実が物語っおいるようだ。真心の仕事であればこそ、未来氞劫、昔の芞術が埌の人の心を打぀のである。  仮りに叀えの人の持った智恵だけを芋おも感心するにはするが、なんず蚀っおも根本は叀人の真心ず熱情になった点に、我々埌人は動かされおいるのである。私は党くこう信じおいるのである。だから私は叀人の仕事を眺める。そうしお叀人の心を読たんずする。少しず぀でも叀人の心が読めお来るず実にうれしい。それずいうのは、自分も叀人のように、心で仕事をしおみたいず思うからである。そうしお心の䜜品が生たれるず、はたず膝を打たない蚳にはいかない。叀えの人は、この調子だなず考えさせられる。  こういうふうに理解が進むず、敢えお創䜜などず蚀っお、倉ったデザむンや倉った色を衚わす今の䜜家の態床が䜙蚈な苊劎をしおいるように考えられお来る。創䜜は智恵が先じゃない、心が先だ、真心の発露だ、真心あっお、それを扶ける智恵が補䜐圹ずしお付き埓えば良いのだず感ずる。借りものの智恵なんかはどうでもよいのだ。同じ智恵でも自然ず自己の倩分からにじみ出る智恵でなくおは、固より創䜜などず暩嚁がるものは生たれる蚳のものではないのだ。生たれ぀きの智恵のないものは生たれ぀きの真心を以お、進めばよいのだ。正矩無敵だ、祈らずずも神は守る。正盎の頭に神は宿る。智恵はその䞊その䞊のかぎりがない。これを逐うこずは智恵のないこずだ。真心は䞀぀で二がない。正に玔䞀だ。だから玔䞀の真心になる熱情を以おするこずだ。それには敵はないはずだ。だから、陶噚を䜜るにしおも別人ず倉ったこずをするこずはない。叀人ず倉ったこずを考える必芁はない。況や叀人の仕事は倧抂は行くずころたで行っおいる。新奇を競う者は、叀人の仕事が明瞭に芋えないからである。無知な者は向こう芋ずなこずを平気でやるこずになるのだ。叀えに察しお無孊の所産である。  これを曞に぀いおみるずき、顔真卿が日本ず曞いおも、欧陜詢が日本ず曞いおも、はたたた、今の人たちが日本ず曞いおも倧しお圢がちがっおいるものではないのである。倧䜓同じであっお、どこずなしに少しのちがいがあるだけなのである。この少しのちがいが倧なる盞違をきたしおいる点が、吟人のもっずも泚目せなければならない芳点であるのである。無暗に圢ばかり倉えおみたずころで、うたい字ずは蚀えないのであり、うたい曞ずしおの芁玠ずはならないのである。  摂接倧掟だからずお別段矩倪倫の節リズムを改倉しお語ったのではない。やはり䞖間䞊みの矩倪倫の節で語ったのである。今の延寿倪倫にしおも、束尟倪倫にしおも倧䜓は圚来の枅元であり垞磐接であっお、改倉独自の節付けではないのである。぀たり他の人ず同じ仕事を同じ方法にやっおみおも、結果に斌おは人次第で倧いに盞違を生じ、幟癟千人䞭摂接䞀人を特異の名人ずなすずか、束尟、延寿を出色ずなすなど、正に泚目すべきである。  陶噚に斌おも楜家の楜茶碗の劂きは、長次郎以来数代を重ね、各々名を成しおいるずは蚀うものの、長次郎ず蚀い、のんこうず蚀い、この䞡人は特に出色であっお、立掟に芞術的生呜を具え、特に秀でたるものをもっおいるのである。倉化に乏しい楜茶碗、あるいは黒無地塗りの茶噚棗の劂きに斌おも䞀぀は芞術ずしお燊然たるものあり、䞀぀は二束䞉文取るに足らざるものあり、驚くべき賢愚高䜎があるのである。  このようなこずは、そもそもなにがゆえであるかに考え及ばなければならないのではあるたいか。これに考え及ぶずきに斌お発芋されるものは他ではない、ただ姿は同じであり、柄は䌌たものであっおも、内容がちがう。ただこれだけを発芋するばかりである。これ以倖には党くなにものもないのである。この内容を解剖するずき、内容には先倩的に成る優れたるものが存圚する。埌倩的に具わった優れたものが存圚する。この二぀の存圚ず、それぞれその皋床を以お䜜す結果に様々な姿を衚わし、様々の高䜎を珟わすものなのである。  だから私の陶噚を䜜る堎合に斌ける䜜行に重きを眮くずいうのは、自己の内容に重きを眮くこずであり、自己の心を䜜品に写さんずする願いごずである。埓っお暡様や色は、根本を食るための補助にすぎない第二矩的研究ずも蚀い埗られるのである。䜆し、これは私の䞀個的䜜噚芳であるこずは蚀うたでもない。  高貎の方がなんず埡埗心遊ばされたかは私の関するずころではないが、この奉答によっお、ひたすら身に䜙る光栄を感じたこずは真実に光栄であった。昭和六幎
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 眪過の語はアリストテレスが、之を悲哀戯曲論䞭に甚ひしより起原せるものにしお、独逞語の所謂「シりルド」是なり。日本語に之を重蚳しお眪過ず謂ふは皍々穏圓ならざるが劂しず雖も、䞖にアむデアル、リアルを蚳しお理想的、実写的ずさぞ蚀ふこずあれば、是れ亊差しお咎むべきにあらず。  吟人をしお若し眪過の定矩を䞋さしめば、簡明に巊の劂く謂はんず欲す。曰く、  眪過ずは悲哀戯曲䞭の人物を悲惚の境界に淪萜せしむる動力源因なり ず。歀動力源因は即ち術語の眪過にしお、䞖俗の所謂過倱及び刑法の所謂犯眪等ず混同すべからず。䟋之ば茲に曲䞭の人物が数奇䞍過䞍幞惚憺の境界に終るこずありず仮定せよ。其境界に迫るたでには其間必ずや゜レ盞応の動力なかるべからず。語を倉ぞお之を蚀ぞば闘争、欝屈、䞍平、短気、迷想、剛盎、高螏、逆俗等ありお数奇䞍遇䞍幞惚憺の境界に誘ふに足る源因なかるべからず。眪過は即ち結果に察する源因を蚀ふなり、末路に察する䌏線を蚀ふなり。歀䌏線歀源因は劂䜕にしお発衚せしむべきや。蚀ふたでもなく䞻人公其人ず客芳的の気運ずの争ひを写すに圚り。歀争ひの為めに䞻人公知らず〳〵自然の法則に背反するこずもあるべし。囜家の秩序に抵觊するこずもあるべし。蹉跌苊吟自己の驥足を䌞ばし胜はざるこずもあるべし。零萜䞍平玠志を達せずしお終に道埳䞊䞖に容れられざる人ずなるこずもあるべし。憀懣短慮終に自己の名誉を墜すこずもあるべし。曟぀お之を争ひしが為めにワルレンスタむンは悲苊の境界に沈淪したり。マクベスは間接に道埳に抵觊したる所業をしたり。倩神蚘の束王は我愛子を殺したり。嚘節甚の小䞉は矩利の刀に斃れたり。信長の本胜寺に匑せらるゝ、光秀の小栗栖に刺さるゝ、矩貞の敗瞟に斌ける、矩経の東走に斌ける、皆眪過なくんばあらず。吟人は断蚀せんず欲す、曰く、䞖に眪過なくしお䞍幞の末路に終るものは之れなしず。人或は曰はん、キリストは眪過なくしお無惚の死を遂げたりず。然れども吟人詩孊的の県を以぀お之を芖るずきは、キリストず雖も明癜なる眪過あるなり。圌はナダダ人の気颚習慣に逆ひ、時俗に投ぜざる、時人の信服を買ふ胜はざる説を吐けり。是れ圌が無惚の死に終りし動力なり、源因なり、䌏線なり。別蚀すれば圌は術語の眪過を犯せしものなり。孔子の饑逓に苊められしこずあるも、孟子が蜗軻䞍遇に終りしも、垰する所は同䞀理なり。  吟人が悲哀戯曲に察するの意芋歀の劂し。若し䞖間に眪過は悲哀戯曲に䞍必芁なりず蚀ふ者あらば、吟人は其暎論に驚かずんばあらず。又眪過は戯曲のみにあるべきものにしお決しお小説にあるべからずず蚀ふ者あらば、吟人は別論ずしお猶ほ其誀謬を駁せんず欲するなり。  鎎倖持史は曟぀お・・・瀟を代衚しお「しがらみ艞玙」の本領を論ぜしこずあり。䞭に蚀ぞるあり、曰く、  䌝奇の粟髄を論じおアリストテレスの眪過論を唯䞀の芏則ずするは既に偏聎の誚を免れず、況んやこれを小説に応甚せんずするをや 云々ず。又医孊士山口寅倪郎氏も「しがらみ艞玙」第四号の舞姫評䞭に蚀ぞるあり、曰く、  忍月居士がアリストテレスの眪過説を匕お小説を論ずるが劂きものは豈其正を埗たるものならんや 云々ず。吟人は先づ順を远ふお二氏の論の圓吊を刀定せんず欲す。二氏共に眪過論は偏曲なり、又は小説に応甚すべからずず断定せしのみにしお、毫も其理由を蚀はず。玠より他を論議するの぀いでに歀蚀を附加せしものなれば、二氏も冗長をさけお其理由を蚀はざりしものならん。然れども吟人は其理由を聞かずんば其説に承服する胜ざるなり。玠より戯曲には皮々の芏則あり、眪過を以぀お唯䞀の芏則ずなすは䞍可なるべしず雖も、之が為めに眪過は䞍甚なりず蚀ふあらば亊た倧に䞍可なるが劂し。䜕ずなれば人物は動力源因なくしお偶然䞍幞悲惚の境界に陥るものなければなり。歎史家が偶然の出来事は䞖に存圚せずず蚀ふも是れ吟人ず同䞀の意芋に出づるものならん。故に吟人は眪過を以ツお重芁なる戯曲芏則の䞀に数ぞんず欲す。  戯曲は啻に䞍幞悲惚に終るもののみならず、又玠志を党うしお幞犏嬉楜に終る者もあり。然るにアリストテレスは䜕が故に只眪過をのみ説いお歓喜戯曲の「歓喜に終る源因」に就お説くこずなかりしや。是れ倧なる由瞁あり。圓時垌臘に斌おは悲哀戯曲のみを貎重し、トラゲヂヌず蚀ぞばあらゆる戯曲の別名の劂くなりをりお、悲哀戯曲倖に戯曲なしず思惟するの傟向ありたり。故にアリストテレスが戯曲論を立぀るも専ぱら悲哀戯曲に就お蚀ぞるなり。若し圌をしお歓喜戯曲、通垞戯曲等も悲哀戯曲ず同じく尊重せらるゝ珟代に圚らしめば、圌は決ツしお悲哀戯曲のみに通甚する「眪過」の語を甚ひずしお、必ず䞀般に通甚する他語を甚ひしに盞違なし。故に近䞖の詩孊家は眪過の語の代りに衝突「コンフリクト」の語を甚ふ。而しお曰ふ、トラゲヂヌの出来事は人物が其力量識芋埳行の他に超抜するにも係はらず、䞍幞の末路に終ぞしむる所の衝突を有し、コムメヂヌの出来事は玠志を党うし幞犏嬉楜の境に赎かしむる所の衝突を有すず。アボ䞖に人物に察する衝突なきの出来事ある乎。若し之れありずせば、゜は最早出来事ずは称すべからざるなり。是を以぀お之を芖れば、眪過も衝突も行為結果の動力を意味するに至぀おは同䞀なり。只意矩に広狭の差あるのみ。されば眪過説を排斥するものは衝突説をも排斥するものなり。アリストテレスの眪過を広意に敷延すれば即ち結果に察する原因なり、末路に察する䌏線なり埩た其䞍幞に終るず幞犏に終るずを問はず。詊みに鎎倖持史に問はん、持史は結果のみを写しお原因を写さざる戯曲を称しお猶ほ良奜なるものず謂ふ乎、原因に泚目する者を称しお猶ほ偏聎の誚を免れざるものずなす乎。  又飜぀お小説を芋るに、苟くも小説の名を䞋し埗べき小説は劂䜕なるものず雖も、悉く人物の意思ず気質ずに出づる行為、及び其結果より成立せざるはなし。人物の䞀枯䞀栄䞀窮䞀達は総お其行為の結果なり。故に行為は結果に察する源因ずなるなり。犍に眹るも犏を招くも其源を尋ぬれば、行為は明然之が因をなす。別蚀すれば結果は源因の写圱たるに倖ならず。歀源因は即ち広意に斌ける眪過ず同䞀意矩なり。以䞋に甚ふる眪過の語は衝突ず同䞀なりず思ひ玉ぞ䞖に偶然の出来事なし、豈に眪過なきの結果あらんや。手を盞堎に䞋しお䞀攫千金の利を埗るも、志士仁人が䞍幞数奇なるこずあるも、悪人栄えお善人亡ぶるこずあるも、尊氏が埁倷倧将軍ずなるも、正成が湊川に戊死するも、総お䜕凊にか眪過なくんばあらず。眪過なくんば結果なし。結果なくんば行為なし。行為なくんば意思なし気質なし。意思なく気質なくんば既に人物なし。人物なくしお誰か小説を䜜るを埗ん。鎎倖、山口の二孊士が小説に眪過説を応甚すべからずず云ふは、暪から芋るも瞊から芋るも解すべからざる謬芋ず謂はざるを埗ず。䜕ずなれば二孊士は行為なき、人物なきの小説を䜜れず蚀ふものず䞀般なればなり。吊らざれば二氏は朚偶泥塑を以ツお完党なる小説を䜜れず呜ずる者ず䞀般なり。吟人は二氏が難きを人に責るの酷なるに驚く。  二氏は劂䜕にしお歀の劂き謬芋を抱きしや。吟人熟々二氏の意の圚る凊を察しお皍々其由来を知るを埗たり。蓋し二氏は眪過説に拘泥する時は呜数戯曲、呜数小説の匊に陥るを憂ふる者ならん。䜕ずなれば眪過なる者は䞻人公其人ず運呜運呜の極匊は呜数ずの争ひを以お発衚する者なればなり。若し果しお然らば二氏は運呜を適圓に解釈するを知らざる者なり。運呜ずは神意に出るものにもあらず、倩呜にもあらず、怪異にもあらず。叀昔垌臘人は以為らく、人智の埗お思議すべからざる者是れ則ち運呜なりず。故に英雄豪傑の䞍幞に淪萜するは、其人の心、之を然らしむるにはあらずしお、皆な倩呜神意に出づるものなりず。又、ゟホクレス、ヲむリピデス等の戯曲は倚く歀傟きあるが劂し。思ふに二氏が運呜を解釈するは是ず同䞀ならん。然れども是れ叀昔陳腐の解にしお近䞖詩孊家の採らざる所なり。吟人は運呜を以぀お「郜お人の意思ず気質ずに出づる行為の結果なり」ず解釈するものなり。シ゚クスピヌダの傑䜜も近束の傑䜜も皆な歀解釈に基くが劂し。又レッシングの「ガロッチヌ」シルレルの「ワルレンスタむン」も亊た皆な然らざるはなし。是を以぀お知る、瞊什眪過に拘泥するも、運呜の解釈さぞ誀るこずなければ、決぀しお呜数の匊に陥るの憂なきを。  近く䟋を探らんに、春のやの効ず背鏡、现君、矎劙斎の胡蝶、玅葉の色懺悔及び鎎倖の舞姫等皆な眪過あるなり。然れども皆な小説たるの䜓裁を倱はず。只其間に圌歀優劣の差あるは、䞀に眪過の発生、成長の光景を写すに巧拙あるが故なり。芁するに眪過なきの小説は小説にあらざるなり。眪過なきの戯曲は戯曲にあらざるなり。眪過の発生、成長を巧みに写すこず胜はざるものは、拙劣の䜜者なり。  アボ眪過が戯曲、小説に斌ける地䜍、斯の劂く重芁なり。敢お眪過論を艞しお䞖䞊の非眪過論者に質す。 明治二十䞉幎四月䞀、二、䞉日
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 君の手玙ず東京から垰った䌚瀟の人の報告で東京の惚状はほが想像が぀く。芁するに「空襲恐るるに足らず」ずいった粗倧な指導方針が事をここに至らしめたのだろう。敵が頭の䞊に来たら日本の堎合防空はあり埗ない、防空ずは敵を掋䞊に迎え撃぀こず以倖にはないずがくは以前から信じおいたがたちがっおいなかった。しかるにいただ空襲の被害を過少評䟡しようずする傟向があるのは嘆かわしいこずだ。この認識が是正せられないかぎり日本は危しずいわねばならぬ。幟癟䞇の粟兵を擁しおいおも戊力源が焌かれ砎壊されおしたったら兵力が兵力にならぬ。空襲でほろびた囜はないずいうのは前倧戊時代の叀い戊争孊だず思う。こずに日本のような朚造家屋の堎合この定理は通甚せぬ。  敵は近来癜昌ゆうゆうず南方掋䞊に集結し線隊を組み、䞀時間も経過しお䟵入しおくるが、ずいぶんみくびったやり方だず思う。どうせ郜垂䞊空で迎え撃぀ものなら、なぜ事前に䞀機でも墜しおくれないのだろう。たずえ䞀トンの爆匟でも無効になるではないか。郜垂を守る飛行機が䞀機でもあるなら、なぜそれを䟵入埄路ぞふり向けないのだろう。どうもわからぬこずが歯がゆい。  がくは近ごろ䞖界の動きずいうものが少しわかっおきたような気がする。  日本がこの戊争で勝っおも負けおも䞖界の動きはほずんど倉らないず思う。それはおそかれ早かれ共産囜ず民䞻囜ずの戊争になるからだ。そのずき日本がもし健圚ならば、いやでもおうでもどちらかに぀かねばならぬようにされるだろう。自分はどちらでもないずいうこずは蚱されない。もしそんなこずをいっおいたら䞡方から攻められお分断されなければならない。それを避けようず思えば囜論をいずれか䞀方に統䞀しお態床をきめなければならぬ。そのためにはあるいは囜内戊争がもちあがるかもわからぬ。芁するにこの戊争で飛行機の性胜ず砎壊力が頂点に達したため、地球の距離が癟分の䞀に短瞮され、短日月に倧䜜戊が可胜になった。それで地球䞊の統䞀ずいうこずがずっず容易になったのだ。そのかわり、珟圚の日本くらいの皋床の生産力では真の意味の独立が困難になっおきたのだ。  珟圚すでに真の独立囜は英・米・゜䞉囜にすぎなくなっおいる。他の独立囜は実は名のみで䞉぀のうちいずれかの囜にすがらないかぎり生きお行けなくなっおいる。  これは倧資本の䌚瀟がどしどし小資本の䌚瀟を吞収するようなもので、珟圚の戊争はよほどの倧生産力がなければやっお行けない。したがっお小資本の囜は独力で戊争ができなくなり、自然倧資本囜に吞収されるわけだ。  さお民䞻囜ず共産囜ずいずれが勝぀かはなかなかわからないが、がくの想像では結局い぀かは共産囜が勝぀のではないかず思う。そのわけは同じ戊力ずすれば䞀方は思想戊で勝ち味があるだけ匷いわけだ。  こうしお䞀぀の勢力に統䞀されればそれでずにかく䞀応戊争のない䞖界が実珟するわけだ。しかし氞久にずいうのではない。別の倧勢力が生れおふたたびこれをひっくりかえすずきにはたた戊争がある。しかし次にひっくりかえすや぀はさらに新しい思想を持っおいなければならぬから、それたでには非垞に長い経過が必芁になるわけだ。珟圚たでのずころ共産䞻矩に察抗するだけの力を持った思想は生れおいないし、これから生れるずしおもそれが成長し熟するたでにはすくなくずも癟幎くらいかかるだろうから、䞀床統䞀された䞖界ではそうちょいちょい戊争は起らないものず考えおよい。  たあこの倢物語りはここでおしたいだがこれが䜕十幎先で圓るか、案倖近く実珟するか、おなぐさみずいうずころだ。     昭和二十幎䞉月十六日
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もう涙が止たりたせんでした
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 ちいさい頃から、いろいろの髷を考案しお近所の幌友達にそれを結っおあげ、ずもにたのしんだのがこうじお、幎が぀もるにしたがっお女の髷ずいうものに興味を深くも぀ようになった。  ひず぀は私の画題の十䞭の八、九たでが矎人画であったために、女ず髷の䞍可分の関係にあった故でもあろう――髷に぀いおは、画を描く苊心ず平行しお、それを調べおいったものである。  私自身は二十歳すぎから櫛巻のぐるぐるたきにしお今たで来おいるのを想うず、自分の髪はたなぞあげお眮いお、ひずの髷ずなるずけんめいになっお研究する――考えおみるずおかしな話である。  しかし、これも自分の仕事ず切り離すこずの出来ないものなので、折りにふれ時にふれ、それを調べおいるうちに、ずいぶんずたくさんの髷のかたちが私の脳䞭に陣取っおしたった。  いたそれを䞀぀ず぀想い出すたたにずり出しお䞊べおみるのも䜕かの圹に立おばず考えるので    髷の名称も時代によっお、その呌びかたがいろいろず倉っおいるが、明治の初期あたりから、明治の末期たで結われたものの名前だけでも、たいぞんな皮類があり、それが関東ず関西では、たた別々であるので、髷の名称ほど皮々雑倚なものはない。  結綿、割唐子、めおず髷、唐人髷、蝶々、文金高島田、島田厩し、投島田、奎島田、倩神ふくら雀、おたらい、銀杏返し、長船、おばこ、兵庫、勝山䞞髷、䞉぀茪、芞劓結、茶筌、達磚返し、しゃこ、切髪、芞子髷、か぀ら䞋、久米䞉髷、新橋圢䞞髷。  これは関東――ずいっおも䞻に東京での髷であるが、関西になるず、髷の名前ひず぀にしおも、いかにも関西らしい味をみせた名前を぀けおいる。  ずころで関西ずいっおも京郜ず倧阪ずでは名前がころりず倉っおいる。  倧阪には倧阪らしい名前、京郜には京郜らしい呌び名を぀けおいるずころに、その郜垂郜垂の奜みがうかがえお面癜い。  達磚返し、しゃこ結び、䞖垯おがこ、䞉ツ葉蝶、新蝶倧圢鹿子、新蝶流圢、新蝶平圢、じれった結び、䞉ツ髷、束ね鎚脚、櫛巻、鹿子、嚘島田、町方䞞髷、賠蝶流圢、賠蝶䞞圢、竹の節。  倧阪人の぀けそうな名前である。「じれった結び」ずか、「䞖垯おがこ」などずいうのは劂䜕にも気のせかせかした、たた䞖垯ずいうものに重きを眮いおいる郜䌚生掻者の぀けそうな名前で、髷の圢を知らぬものでも名前をきいただけで、その圢が目に浮かんで来るようである。  京郜ぞくるず、たた京郜らしい情緒をその名称の䞭にたたえおいお嬉しい。  䞞髷、぀ぶし島田、先笄、勝山、䞡手、蝶々、䞉ツ茪、ふく髷、かけ䞋し、切倩神、割しのぶ、割鹿子、唐団扇、結綿、鹿子倩神、四ツ目厩し、束葉蝶々、あきさ、桃割れ、立兵庫、暪兵庫、おしどり雄ずめすずあり、たったく賑やかなこずであっお、いちいち名前を芚えるだけでも、倧倉な苊劎である。  そのほかに、掟生的に生たれたものに次のようなものがある。これは、どこの髷ずいうこずなしに各郜垂それぞれに結われおいるものだ。  立花厩し、裏銀杏、芝雀、倕顔、皿茪、よこがい、かぶせ、阿匥陀、䞡茪厩し、りンテレガン、倩保山、いびし、浊島、猫の耳、しぶのう、かせ兵庫、うしろ勝山、倧吉、ねじ梅、手鞠、数奇屋、思いづき、ずんずん、錊祥女、チャンポン、ひっこき、皲本髷、いがじり巻、すきばい、すき蝶など    よくもこれだけの名前を぀けられたものだず思う。  埀叀の女性の髪はみんな垂髪であった。それが、この囜に文化の颚が染みこんでくるず、自然髪の眮き堎所にも気を䜿うようになり、結髪ずいうものが発達しお来た。  むかしは誰も圌も、䌞びた髪をうしろぞ垂らしおいたのであるが、そのうち働く女性達には、あたりながくだらりず垂れた髪は邪魔になっお来た。  そこで銖のあたりに束ねお結んだ。そうしお働きいいようにしおいるうちに、女性のこず故、その束ねかた結びかたに心を䜿うようになった――それが、結髪発達史の第䞀ペヌゞではなかろうかず考える。  垂髪時代の女性の髪は䞀䜓に長かった。垂髪であるために手入れが簡単で、手入れをしおも髪をいじめるこずがすくなかった。それで髪はいじめられずに、自然のたたにすくすくず䌞びおいった。  今の女性の髪の䌞びないのは、いろいろの髷にしお、髪をあっちぞ曲げ、こっちぞねじおいじめ぀ける故で、ああいじめ぀けおは髪は䌞びるどころか瞮むばかりである。  もっずも、今の若いひずは、わざわざ電気をかけお瞮たしおいるのであるから、私などこのようなこずを蚀っおは笑われるかも知れないが    ずにかくむかしのひずの髪の長かったこずは、倧䜓その人が立っお、なお髪の末が四、五寞くらい畳を這うのを普通ずしおいたのである。  宇治倧玍蚀物語に、䞊東門院のお髪のながさ埡身䞈より二尺なおあたれりずあるが、そのお方の埡身長の皋は知られないが、お立ちになっお髪が二尺も䜙ったずいうからには、よほどの長いお髪であったろうず拝察する。  安珍枅姫で有名な道成寺の瞁起にも、䞀矜の雀が䞀䞈もあろう䞀筋の髪の毛をくわえおくる話があったように蚘憶しおいるが――ずにかく、埀叀の女の髪は、いろいろの文献を話半分に考えおみおも、倧䜓においお長かったこずは事実らしい。  埀叀は今でもそうであるが女の子の前髪がのびお垂れおくるず、額のずころで剪っおそろえた。  そのこずをめざしず呌んだが、どういうわけで也し魚のような名前を぀けたのか  ある研究家によるず、垂れ䞋った髪が目を刺すから、そこから生たれたのであろう――ず、䞀応もっずもな考えである。  このめざし時代は十歳ころたでで、それ以䞊の幎になるず挞次のびた髪をうしろぞ投げかけお剪り揃えお眮く。  それがもっず䌞びるず振分髪にするのであるが、前のほうず背埌のほうぞ垂らしお眮く法で、髪が乱れないように、䞡方の耳のあたりを垃でむすんで垂れお眮くのである。  この振分髪がもっず䌞びるず、背の䞊郚で垃か麻でむすんで垂れ髪にするのである。この髪のたばねかたにもいろいろあるにはあったが、普通はひずずこだけ束ねむすんでうしろぞ垂れた。  たた二筋に分けお前ずかうしろぞ垂れるのもあった。これを二筋垂髪ず呌んだ。  この長い髪は、倜寝るずきには枕もずにたばねお寝たのであるが、ひんやりずしたみどりの黒髪の枕が、銖筋にふれる気持ちは悪くはなかったであろうず思う。  近来は女性の髷もいちじるしい倉化をみせお来お、むかしのように髷の圢で、あの人は倫人であるか什嬢であるかの芋別けが぀かなくなった。  いたの女性は、぀ずめおそういったこずをきらっお、殊曎に花嫁時に花嫁らしい髪をよそおうのを逃げおいるようである。  倫人かずみれば什嬢のごずきずころもあり、什嬢かずみれば倫人らしきずころもあり  ずいうのが、今の花嫁である。  そのむかし源平合戊の折り加賀の篠原で、手塚倪郎が実盛を評しお、䟍倧将ず芋れば雑兵のごずきずころあり、雑兵かずみれば錊のひたたれを着しお候――ず面劖気に蚀ったあの蚀葉を憶い出しお苊笑を犁じ埗ないのである。  以前は若い女性は結婚ずいうものを倧きな倢に考えお憧れおいたから、花嫁になるず、すぐにその髪を結っお、 「私は幞犏な新劻でございたす」  ず、その髪の圢に無蚀の悊びを結び぀けおふいちょうしおあるいたのであるが、今の女性は瀟䌚の状態に぀れお、そのようなこずを愉しんでいるひたがなくなったのででもあろうか、぀ずめおそういったこずを瀺さぬようになっお来た。  結婚前も結婚埌も、雀の巣のようにもじゃもじゃした電気のあずをみせおいる。「簡単」どころか髪をちぢらすのには皮々の道具がいる。せっかくふさふさずしたよい黒髪をもっお生たれながら、わざわざ長い時間をかけおその黒髪をちぢらしおいる。私なぞの櫛巻は䞀週間に䞀床䞉十分あれば結える、そしお毎朝五分間で髪をなで぀け身仕床が出来る簡単さずくらべれば、わざわざ髪をちぢらすのにかける時間の空費は実にもったいないこずである。私にはどういう次第か、あの電髪ずいうものがぎんずこない。  パヌマネントの矎人私はパヌマネントには矎は感じないのであるがは、いくら絶䞖であっおも、私の矎人画の材料にはならないのである。  あれを描く気になれないのは、どうしたわけであろうか  やはり、そこに日本矎ずいうものがすこしもない故であろうか。  圓今では日本髪はほずんど圱をひそめおしたったず蚀っおいい。  しかし䌝統の日本髪の歎史はながいから、ただ若い女性の内郚には、その銙りが残っおいるず芋えお、お正月ずか節分、お盆になるず、ふるさずの髪、日本髪を結う嚘さんのいるのは嬉しいこずである。  人は䞀幎に䞀床か䞉幎に䞀床はふるさずぞ垰りたい心をもっおいるのず同様に――今の若い女性ずいえども、ずきどき先祖が結った日本髪ずいう矎しい故郷ぞ垰っおみたくなるのであろう。  私が女性画――特に時代の矎人画を描く心の䞭には、この矎しい日本髪の忘れられおゆくのを歎く気持ちがあるのだず蚀えないこずもない。
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圌が恥ずかしそうに䞋を向いた
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侀  僕はコンクリむトの建物の䞊んだ䞞の内の裏通りを歩いおゐた。するず䜕か匀を感じた。䜕か、――ではない。野菜サラドの匀である。僕はあたりを芋たはした。が、アスフアルトの埀来には五味箱䞀぀芋えなか぀た。それは又劂䜕にも春の倜らしか぀た。 二  ――「君は倜は怖くはないかね」  僕――「栌別怖いず思぀たこずはない。」  ――「僕は怖いんだよ。䜕だか倧きい消しゎムでも噛んでゐるやうな気がするからね。」  これも、――このの蚀葉もやはり劂䜕にも春の倜らしか぀た。 侉  僕は支那の少女が䞀人、電車に乗るのを眺めおゐた。それは季節を砎壊する電燈の光の䞋だ぀たにもせよ、実際春の倜に違ひなか぀た。少女は僕に埌ろを向け、電車のステツプに足をかけようずした。僕は巻煙草を銜ぞたたた、ふずこの少女の耳の根に垢の残぀おゐるのを発芋した。その又垢は垢ず云ふよりも「よごれ」ず云ふのに近いものだ぀た。僕は電車の走぀お行぀た埌もこの耳の根に残぀た垢に䜕か暖さを感じおゐた。 四  或春の倜、僕は路ばたに立ち止぀た銬車の偎を通りかか぀た。銬はほ぀そりした癜銬だ぀た。僕はそこを通りながら、ちよ぀ずこの銬の頞すぢに手を觊れお芋たい誘惑を感じた。 五  これも或春の倜のこずである。僕は埀来を歩きながら、鮫の卵を食ひたいず思ひ出した。 六  春の倜の空想。――い぀かカツプ・プランタンの窓は広い牧堎に開いおゐる。その又牧堎のたん䞭には䞞焌きにした雞が䞀矜、銖を垂れお䜕か考ぞおゐる。   䞃  春の倜の蚀葉。――「やすちやんが青いうんこをしたした。」 八  或䞉月の倜、僕はペンを䌑めた時、ふずニツケルの懐䞭時蚈の進んでゐるのを発芋した。隣宀の掛け時蚈は十時を打぀おゐる。が、懐䞭時蚈は十時半にな぀おゐる。僕は懐䞭時蚈を眮き火燵の䞊に眮き、䞁寧に針を十時ぞ戻した。それから又ペンを動かし出した。時間ず云ふものはかう云ふ時ほど、存倖急に過ぎるこずはない。掛け時蚈は今床は十䞀時を打぀た。僕はペンを持぀たたた、懐䞭時蚈ぞ目をやるず、――今床は䞍思議にも十二時にな぀おゐた。懐䞭時蚈は暖たるず、針を早くたはすのかしら 九  誰か怅子の䞊に爪を磚いおゐる。誰か窓の前にレ゚スをかが぀おゐる。誰かやけに花をむし぀おゐる。誰かそ぀ず鞚鵡を絞め殺しおゐる。誰か小さいレストランの裏の煙突の䞋に眠぀おゐる。誰か垆前船の垆をあげおゐる。誰か柔い癜パンに朚炭画の線を拭぀おゐる。誰か瓊斯の匀の䞭にシダベルの泥をすくひ䞊げおゐる。誰か、――ではない。たるたるず肥぀た玳士が䞀人、「詩韻含英」を拡げながら、未だに春宵の詩を考ぞおゐる。  昭和二・二・五
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 トラ子はもみの頞茪をしお、庭のいおふの暹を駈けあがりかけ䞋りたりしおゐる。トラ子の朚のがりは圌唯䞀の芞で、私たちをたのしたせるために䞀日に䞀二床はや぀お芋せる。トラ子ずいふのは今幎の六月生れの、ほんずうは雄猫である。はじめ隣家にもらはれお来たが、そこには犬ず二匹の仔豚がゐお、おさない猫の心にも怖くお萜ち぀かないらしく、私の家に来おは食事をねだ぀おゐた。物をたべさせるずそこに䜏み぀くずいふから、隣家に矩理を立おおほんの少しの物しか食べさせず、来れば庭に远ひ出すやうにしおゐるず、その埌来なくな぀おどこかに拟はれたらしく、二週間もた぀お芋た時には、赀い頞茪をしお䜕か忙がしさうに庭を暪ぎ぀おゆくずころだ぀た。トラ子ず呌ぶず、どきんずしたやうにあわおお逃げたが、すぐたた思ひ返しお、ここの家にも䞀飯の矩理があるず思぀たらしく、すぐにお勝手から䞊぀お来お、い぀もどほりに鳎いお䜕かねだ぀た。圌は虎毛の黒぀ぜい顔をしおゐるのに、その時はさも赀面したやうにはづかしさうな愛嬌を顔い぀ぱい芋せおゐた。  隔日ぐらゐに来おおひるを食べお庭で遊んで倕がた垰぀おゆく。雚のふる朝来たずき、頞茪がひどく汚れおゐたから、それをはづしおやるず、たた新しい玅絹の頞茪で次の日に珟はれた。トラは倧事にされおゐるな、真あたらしい玅絹だから、わかい什嬢のゐる家だらうず思぀おみた。カステラやむモが奜きなので、をんな猫のやうな錯芚を感じお「トラ子」ずよび慣れおした぀た。けふもたた䜕かねだるのだらう。  過去に私はトラ子によく䌌た仔猫を知぀おゐた。やはり黒の勝぀た虎毛で尟がたるく長く、金いろの䞞い県をも぀おゐた。猫を愛する倫人が八匹ほど育おおゐお、その䞭の䞀ばん可愛いや぀だ぀た。倫人はその猫を「ニトラ・マルメ」ず名づけた。故人ずなられた新枡戞博士の家にゐたスペむン猫の子䟛だ぀たから、姓は「ニトラ」県がたるいから「マルメ」ずいふ名であ぀た。倫人は教逊たかいアメリカ婊人で、猫たちにも詩的なのや、しやれた名を぀けた。庭に迷ひこんで来たキゞ猫を「キシロ」ずいひ、赀猫は「アカ」で、癜猫は「マシロ」、赀猫の子どもを「コアカ」ずいふやうに。そのほかに錈甲のやうな黒ず黄いろのただらの猫で「ベツコ」ずいふのもゐた。倫人が母君のお芋舞にアメリカに垰られた぀いでにペルシダ猫を買぀お来られた。「ブリュ・クラりド」぀たり「青い雲」ずいふ名で、青黒い毛のすばらしい倧猫だ぀た。  倫人は、倧谷倧孊の教授鈎朚倧拙博士の倫人ビアトリス女史で、もう今は䞖に亡いかたである。私は倫人に厚いお䞖話にな぀た。アむルランド文孊の本がたくさん䞞善に来おゐるから、読んでみおは ずすすめお䞋さ぀たのも倫人であ぀た。倧拙博士もその頃はおわかくお、お茶を䞀しよに䞊がりながら、片山さん、たた猫が二ひきふえたしたよず、猫の噂をなさ぀た。枩かい思ひ出である。その過去からいた「トラ子」が䜿に来たやうな気がする。
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 智子が、盲目の青幎北田䞉朚雄に嫁いだこずは、芪戚や友人たちを驚かした。 「ああいう胜力に自信のある女はえお物奜きなこずをするものだ」 「男女の芪和力ずいうものは別ですわ。倫婊になるのは矎孊のためじゃあるたいし」  批評たちたちであった。  智子は、今から五幎たえに高等女孊校を卒業した。兄の道倪郎ず共に早く䞡芪を喪った圌女は、卒業埌も、しばらく家で唯䞀の女手ずしお兄の面倒を芋おいた。去幎の暮、兄は鈎子ずいう智子ずは同じ女孊校の䞋玚生を劻に迎えたので、どうやら今床は自分の結婚の番になった。  嫂の鈎子の兄は豊雄ずいっお、×倧出の若手の医者である。智子ず新しく芪戚関係になったこの青幎玳士は、目的あっお、せっせず智子ず亀際し出した。そしお誰が芋おも、二人は奜配偶だった。殆ど同時に仲人を介しお結婚を申し蟌んでいる智子の家ず同じ地䞻仲間の北田家の圓䞻䞉朚雄は盲目青幎の䞊、教育もなし、たるで呚囲の問題にされおいなかった。  智子も始は、若幎の医者豊雄に奜感を持っおいた。濶達明朗で、智識ず趣味も豊かに人生の足取りを爜かに運んで行く、この青幎玳士は、結婚しお共に暮しお行くのに華々しく楜しそうだった。しかし圌が持っおいる円滑で自圚な魂は、かならずしも、人生の䌎䟶ずしお特に自分を指名する切実性を持぀魂ずは受取れなくなった。矎人で才胜ある女なら誰でもよさそうだった。ひょっずするず、圌の通俗な魂は勢逞たしいだけに、智子が自分の倧切にしおいる䞀぀の性情を、幞犏の圢で圧し朰しおしたいそうに思われた。  それに匕きかえ、同じ姻戚の盲目青幎北田䞉朚雄の頌りなく無垢なこころは姿に珟れおいお、ある日智子は絶えお久しい歊蔵野の北田家を蚪ねお、殆ど初察面のような䞉朚雄を䞀目芋お、すぐ、運呜に察する枅らかな忿懣を感じ、女性のいのちの底からいじらしさをゆり動かされるのを感じた。抛っおは眮けない情熱を感じた。「この青幎を盞手なら、自分は女の力を粟䞀ぱい出し切れそうだ」ずさえ思った。智子の盲目の倫は北田家の䞀人息子で、既に䞡芪も早逝しお、倚額の遺産ず䞉朚雄の埌芋は叔父の未亡人に䞖話されおいた。 「あら奜いお倩気」  障子をあけるず智子は久しぶりに䜕の防犊もない嚘々した声を立おお仕舞った。だが、盎ぐにはっずしお埌に坐っおいる倫の䞉朚雄を振り返った。初倏の朝の匵りのある陜の光が庭端から胞先䞊りの䞘の斜面に照り぀けおいる。斜面の肌の青草の間に敎列しおいる赀束の幹に陜光が反射しお、あたりはいや明るみに明るんでいる。その明るみの反映は二人の坐っおいる屋内にたで射しお来た。 「蝉が啌き始めるかも知れないわ、今日あたりから」  智子は再び倫の方を振り向いお芋た。倫はただ䜕も云わなかった。「奜いお倩気」の聯想、「蝉」の想像も盲目の自分には぀かないのに劻はたたひずりで燥いでいるずでも思っおいるのではなかろうか。䞉朚雄は真盎ぐに銖は立おおいるが䞘の斜面にめんず向けた顔には青癜い憂愁の色が掛っおいる。だが、䜕ずいうきめの繊い――぀たり内郚から分泌する䞖俗的な慟望が珟䞖のそれに適合するものず䞀床もその䞊で接觊し合ったこずのない浄らかな倫の顔の皮膚である。「坐るずきには䞀番こうしおいるのが姿勢を保ち易いものよ」ず智子が教えたずおりをそのたた、䞉朚雄はやや荒い玬絣の単衣の前をきちんず揃えお坐った膝の䞊に䞡手を揃えおかしこたっおいる。埋矩に組み合せた手の片䞀方に现く光る結婚指茪も、智子自身が新婚旅行のホテルの䞀宀で、旅鞄から取り出しお䞉朚雄の指に぀けおやったものである。 「そうそう、蝉のこず今、私が云いたしたわね。蝉の圢、たた、粘土で造らせお䞊げたすわね」  ここたで云うず䞉朚雄は茪廓の倧きな黒県鏡の䞊にたで延びた眉毛を䞀局広々延べ、ただいくらか残っおいる子䟛らしい声音を亀ぜお、「ああ」ず返事をした。けれど、それも以前皋はっきりした歓喜の衚珟ではなくなっおいた。蝉の圢、蛇の圢、蛙の圢、猿の圢、犬の圢  これは盲目の倫の県に芋えぬ䞖界の生き物を拡倧しお粘土やセルロむドで造らせ、倫の觊芚に詊しおは、劻智子の楜しみずもするのであった。  今幎の二月䞉朚雄ず結婚した智子はあれ皋ヒロむックな芚悟ず感動ずを持っお䞉朚雄ずの生掻にはいったのであるけれど、いよいよ倫ずなり劻ずなった生掻には其凊に盲の倫の暗黒の䞖界ず劻の開明な䞖界ずの差が盎ぐ生じお、それはむしろ智子の方ぞ䜙蚈積極的な苊劎ずなったのである。倫は新しい劻の䞖界に手頌っおいればたず奜かった。劻はしかし、未知な倫の盲目の䞖界にたで探り入らねばならなかった。  䞉朚雄は、その生理䜜甚にも䟝るものか、性質もぐっず内向的で、その焊点に可成り鬱屈した熱情を朜めおいた。そしお智識慟も、探求心も盞圓激しいにも拘らず、今たで䜙り開拓されず、無教逊のたたに打ち捚おられおいたのに智子は驚いた。結婚前智子は二䞉床歊蔵野の倧地䞻であった䞉朚雄の父の遺した田舎の邞宅ぞ䞉朚雄を蚪れ、其凊に埌芋やら家政婊やらを兌ねおいた䞭老の叔母からもよくもおなされ、その叔母さんの淡泊な性質はむしろ奜んで来たのであるが、䞉朚雄の教逊に察する叔母さんの無頓着さには呆れお聊か腹立たしくさえ感じた。或時、叔母さんに智子はそれずなく詰った。するず叔母さんは䟋の男のような淡泊笑いをした。 「でも智さん、䞉朚ちゃんには財産がどっさりあるものな、なたじっかお盲目さんの物識りになんかさせないでね、がんやり長生きさせたいからな。䜕にも䞉朚ちゃんは知らなくっおも千幎䞇幎喰べはぐれはないからね」  新婚旅行に䞉朚雄ず智子は熱海ぞ行った。䞉朚雄はただ癜梅が癜いずいうこずや、その時咲き盛っおいた怿の花ずいうものが、玅いのか黒いのかさえよくわきたえおいなかったのに智子はたず驚いた。誰も、この暗黒の凊女地ぞ足を螏み入れた者はなかったのである。この凊女地もたた暗黒の䞖界をそのたたに黙っおかたく倖界ずの境界線を閉しおいたのかも知れなかった。  結婚は、異性の愛は、劻を埗た歓喜は、䞀時に䞉朚雄の知性たでを、青春の熱情ず共に目醒めさせたものであろうか。しかも、䞉朚雄の智性や熱情は劂䜕にも品栌ず密床を備えおいた。智子の最初の片茪に察する同情は远い远い䞉朚雄ぞの尊敬ず倉り、䞉朚雄の暗黒䞖界を開拓する苊劎を智子は悊楜にさえ感じお来た。  海は蒌く、空も、そしお梅は癜く、怿は玅い。  たず、熱海でこれを智子は䞀心に䞉朚雄に教えた。 海は蒌く空も そしお梅は癜く 怿、くれない  䞉朚雄は詩のような口調でそれを繰り返すようになった。  歊蔵野ぞ垰っお来おから二月の末に倧雪が降った。「積雪皓々ずは雪が真癜くずいうこずなの、雪はただ癜いのよ、そら熱海の梅ずおんなじに癜いのよ、けど積るずそれが癜いたたに光るのよ。」  癜いいろ、癜いものはただ無限。癜ばら、癜癟合、癜壁、癜鳥。玅いものには玅癟合、玅ばら、玅珊瑚、玅焔、玅茞、玅生姜――青い青葉、青い虫、黄いろい菜の花、山吹の花。  こう愛情で心身の撫育を添え劎りながら、智子の教え蟌む色別を䞉朚雄は蚀葉の䞊では驚くべき速床で芚えお行った。そればかりでなく、䞉朚雄は次ぎの未知の䞖界ぞの奜奇心から、子䟛が菓子をでもねだるように智子の教唆をねだり続けるのであった。智子は、そういう性栌の衚れに、䞉朚雄の執拗な方面をも知り埗るのであった。生埌二十䜙幎間未開のたたで蓄積されおいた䞉朚雄の生呜の粟力が芖芚を密閉された狭い攟路から今や滟々ずしお溢れ出お来るのを感じた。それはたた時ずしお、倫ずしお、男性ずしおの䞉朚雄が劻ずしお女性ずしおの智子に泚がれる濃情ずもなり、時には、䞀皮の盲目の片意地ずなっおも衚われお智子に頌母しくも暗い思いをさせるのであった。  倧たい晩春もずっず詰たる頃たでの二人の生掻は前ぞ前ぞず進んで行く奜奇心や驚異やそれらのものが䞉朚雄によっお感じ出される卒先なものであるにしおも劻の智子にずっおもスムヌズな生掻の進行䜓であった。それには若き二人の愛恋の情も甘く和やかに時には激しく急しく䌎奏した。  だが智子は近頃少しず぀倫の内郚に倉調のきざしたのを知らなければならなくなった。あるよく晎れ枡った晩春の午埌、智子はその日出来䞊っお来た新調の掋服を䞉朚雄に着せお裏の䞘続きからちょっず歊蔵野の遊芧地になっおいる地垯に出た。その道は智子ず床々散歩し぀けおいるので䞉朚雄は智子が傍で具合すれば杖で䞊手に道を探っお、ステッキをあしらっお歩く県明きの玳士颚に、割り合いに軜快に歩けた。長身痩躯、挆黒な髪をオヌルバックにした䞉朚雄は立掟な䞀個の矎青幎だった。県鏡の䞋の䞉朚雄の県はその病症が緑内障であるせいか県鏡の䞋に䞀寞芋には生き生きず開いた県に芋えた。行き逢う人達の䜕人が、䞉朚雄を盲青幎ず芋たであろうか、 「あなたね。行き合う人がみんなあなたを芋返るのよ。」 「    」 「あなたのお掋服が奜くお䜓に䌌合うからよ」 「    」  䞉朚雄は今たでよりも杖を急にせわしく突き初めた。歩調が高たっお䜙蚈さっさず歩き出した。智子はこの頃少しず぀気むずかしくなった䞉朚雄のこずを考えお玠盎に黙っお぀いお行った。  ある䞘のなぞえの日圓りに来るず䞉朚雄は停ちどたった。 「智子、僕そんなにおかしく芋えるか。」 「䜕云っおいらっしゃるの、あなたは、めったにない皋お立掟ですわ」 「䜕故人が芋る」 「あら先刻私が云ったこず間違っおずっおらっしゃるの、䜕も皮肉じゃないのよ。本圓にお立掟だから人が振り返るのよ。私、実に奜い服地ず服屋をあなたに芋぀けたず思っお自慢しようず思っお云ったのよ」 「    」  䞉朚雄はうなだれた。杖の先が金具ごずぐっず砂亀りの赫土にめり蟌んだ。 「あなたはこの頃少し、ひがみっぜくなっおらしったわ  た、ずにかく茲ぞ坐りたしょうよ。䌑みながらお話したしょう」  智子はやや呆けた茅花の穂を二䞉本手でなびけお、その䞊に倧圢の癜ハンカチを敷いた。そしお自分は傍の蓬の若葉の密生した䞊ぞ蹲った。 「恰奜が奜いずか悪いずか云ったっお僕には自分の恰奜さえ芋えないんだもの」  䞉朚雄はただ停っおいる。智子はもう䞀ぺん背延びしお思い切っお䞉朚雄の手を捉えた。 「さ、觊っおごらんなさい。あなたのお䜓がどんなに均敎のずれた立掟な恰奜だか刀りたすわ。序に私のも  智子も今日は青いクレヌプデシンの服に黄色い春の倖套だわ」  䞉朚雄は、少し顔を赫めながら智子の持ち添える通り手を遣っお自分の䜓や智子の䜓の恰奜にあらんかぎりの觊芚を働かせお行った。 「ね、あなたも智子も玠晎らしいんだわ、画や圫刻のモデルにされたっお玠晎らしいんだわ」 「うん、うん」  目が粗らくお觊りの柔い䞊等のりヌステッドの服地から智子の皮膚の䞀郚分ぞ滑っお来た倫の手を智子は䞀局匷く握っお䞀瞬ほっず嬉びに赫らんで行く倫の顔色を芖぀めたけれど、今床は䜕故か智子自身がすこし悲しく飜き足りない思いがした。「倫に匕きいれられおはいけない」智子は内心きっずなった。そしお自分はどこ迄もこの盲青幎の暗黒䞖界を照らす唯䞀の旗印でなくおはならないものをず気を取り盎した。 「このすみれの色が玫だっおこずはもうすっかり僕に刀っおるんだよ。だけど僕の知り床いのは玫っおどんな色か  そればかりではないんだよ。僕は君ず結婚したおには倢䞭で、癜だの玅だの青だの黄だのっお色圩の名を教わっお芚えたろう。だけど、実際はその癜や玅や青や黄やが、どんないろだか刀っおやしなかったんだよ」  䞉朚雄の始の口調は劂䜕にも智子を詰るようだったが䞭途から思い返したらしく淋しい埮笑を口元に泛べながら云った。  珍らしく初倏近くたで裏の朚戞傍に咲き残っおいた菫の䞀束を摘んだ倜、智子は食埌の倫の少しほおったような掌にその䞀摘みのすみれの花を茉せおやった。その玫のいろが、たたしおも倫の憂いの皮になろうずは思わなかった。  智子はふずアンドレ・ゞむド䜜の田園の亀響楜の䞀節を思い出した。 盲目少女ゞェルトリりド「でも癜、癜は䜕に䌌おいるかあたしには分りたせんわ」 聞かれた牧垫「  癜はね、すべおの音が䞀緒になっお昂たったその最高音さ、恰床、黒が暗さの極限であるように  」 がこれではゞェルトリりドが玍埗出来ないず同じように自分にも満足が行かなかった。  智子はこれず同じ堎合に眮かれおいる自分を知っおはらはらず涙を流した。 「今にだんだんだんだん色々なこず分るようにしお䞊げたすわ」  智子は心に絶望に近いものを感じながら、こんなお座なりを云ったこずが肌寒いように感じられお倫の方を今曎ながら振り返った。悲しみをじっず堪えるように䜓を固くしおいる倫の姿が火の䞋で半身空虚の䞖界を芗いおいる様に芋えた。  智子は、だんだん県開きの䞖界の珟象を倫に語るのを遠慮し始めた。倫は其凊から始めのうちの歓喜ずは反察に远々焊燥ず悩みをばかり受け取るようになった。鳥や虫や花の暡型を土で拡倧しお造らせるこずも控え勝ちになった。倫は仕舞いには撫でお芋るその虫の這う凊、その鳥類の飛躍する様子――もっず困ったこずにはふだん按撫によっおばかり知っおいる愛する智子の姿勢の歩行する動䜜たでがはっきり芋床い念願に駆られお来た。  智子は危機の来たのを感じた。智識を䞎えるほどその䜓隓が無いために疑いや僻を増しお来る。闇に䜏む人間ず明るみに䜏む人間ずの矛盟ず反撥、そしおその矛盟や反撥には愛ずいう粘り匷い糞が瞊暪に絡んでいるだけに䞀局仕末が悪いこずである。智子はこういうずきにこそ倫婊情死ずいうものが起るのだろうず思っおたすたす肌寒い思いがした。  智子が必死の思案の果おに思極めたこずは――智子がなたじ自分の智胜を過信しお倫を県開きの䞖界ぞ連れお来ようずした無理を撀回するこずだった。倫を本来の盲目の囜に返し自分は県開きの囜に生きお呚囲から守るこず――぀たり盲人本来の性胜に適する觊芚か聎芚の䞖界ぞ倫を突き進たせお其凊から改めお人生の意矩も歓喜も受け取らせる事であった。  梅の暹に梅の花咲くこずわりをたこずに知るはたはやすからず岡本かの子詠  十䜕幎埌琎曲界の䞀方の倧家ずしお名を成した北田䞉朚雄の劻智子は昔から盲人が琎曲界に名を成したりするのをあたり単玔な道のように考えおいた自分を振り返っお恥じる日があった。誰もがい぀の間にか行く垞道、その平凡こそなたじ䞀個人の蚈いより䜕皋かたさった真理を包含しおいるものなのだろうずいうこずを自分自身に感埗した智子であった。
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 子䟛のころ、故郷ずいふ課題で䜜文を䜜぀たこずを芚えおゐる。しかし、どんなこずをどんな颚に曞いたかは䞀字䞀句も芚えおゐない。恐らく、「故郷ずは懐しいものであり、その山も川も、野も林も、父母の笑顔の劂く、われらにず぀お忘れ難きものである」ずいふやうなこずを曞いたのであらう。  私は今でも、よく人から「お囜は」ず蚊かれ、蚊かれるたびに、なにか劙にこだは぀た気持で、「䞡芪は玀州の生れです」ず答ぞるこずにしおゐるが、自分が玀州人であるずいふこずが、なぜか、事実に遠いやうな気がするのである。  これは無論、第䞀に、自分が東京で生れ、東京で育぀たこずに原因しおゐるず思ふ。䞃、八歳のころ、倏であ぀たか、父に連れられお、䞀週間ばかり和歌山垂駕町ずいふずころに祖父を芋舞぀たのを最初ずしお、その埌今日たで、た぀た二床、それも䞀日か二日の滞圚で、同じ町の母方の䌯父を蚪ねたのが、自分のこの土地に察する党亀枉である。  しかし、䞖間にはかういふ皮類の人間が随分倚く、なかには生れおからた぀たく、郷里の土を螏んだこずのない人々も珍らしくないだらうが、さういふ連䞭が、やはりどこか、その颚貌においお、その気質においお、䞀皮の郷土的特色をも぀おゐるこずに気づくず、私は、自分の堎合においおのみ、それが䟋倖であるずは信じられない。珟に私の声を聞いお、玀州人の声だずい぀たものがあるくらゐだ。  遠い祖先のこずは暫らく措き、珟に私の祖父母䞊に䞡芪はいづれも和歌山垂の生れで、父は若幎にしおいはゆる孊笈を負うお郜に出た組であるから、ストリンドベリむ的懐疑思想を亀ぞさぞしなければ、私の血液は玛れもなく、玀州人のそれを受け぀いでゐるず信じられるのである。  その䞊、もう物故した父の方は、それほどでもなか぀たが、母の方は今日でもなほお囜匁の頑固な保有者で、長く家庭にあ぀た私の匟効どもは、知らず識らず、日垞の蚀葉のはしばしにその圱響を受けおゐるずいふ有様だ。  䞀方、さういふ関係から、私は今日たで、比范的倚くの玀州人に接しおゐる。たた、はじめお䌚぀た人間でも、それが玀州人であるずいふこずがわかるず、やはり、それだけで特殊の興味をも぀やうに習慣が逊はれおゐるのである。さうだずするず、これでもうやや玀州人たる資栌を備ぞおゐるこずになるのだが、さお、最埌の䞀点で、私は、恐らく、その資栌の重芁な郚分を倱぀おゐるやうに思はれる。それは、぀たり、私の県が玀州人に向けられる時、あたりに隔たりをおきすぎるずいふこずである。  だがかういふ傟向は、決しお昔からあ぀たのでなく、私が、文孊をやり始め、殊に、䜜家生掻にはひ぀おから著しく珟はれお来たもので、翻぀お考ぞるず、文孊の地方性ずいふ問題に觊れる機䌚が、近来、たすたす倚くな぀たからだらうず思ふ。  さういぞば、日本の文壇では、各䜜家の個人研究があたり行はれず、自然、それぞれの䜜家が、その䜜品の䞭に、どれほど「郷土的」なものを盛぀おゐるか、その䜜品のどういふずころに、その䜜家の「䜕囜人」たる特色が珟はれおゐるかずいふやうな問題は、殆んど顧みられないやうであるが、仮に今、フランス文孊に぀いおみれば、所謂「郷土䞻矩的」䜜品は別ずしおも、倚くの䜜品に぀いお、それぞれ興味ある「血統」の研究が行はれおをり、䜜品を通じおの思想感情、乃至色調の特異性を、屡々ある「地方粟神」の発露ず芋る批評圢匏が採甚されおゐるのである。  これは、実際、圓然のこずで、䟋ぞば英文孊ず仏文孊ずの比范は今日立掟な孊問の域にたで進んでをり、倖囜文孊の研究は、勢ひ自囜の文孊ずの察照にたで発展しなければならぬのであ぀お、私の考ぞでは、その先駆をなすものが、䞀囜内における各地方、各州の文孊的生産を、䞀皮の「気質」に本づいお怜蚎する「奜事家的」詊みではないかず思ふのである。  しかしたあ、かういふ議論はさお措き、私は、他人のなかに「玀州」を発芋し埗る修業がややできかけたず同時に、自分のなかの「玀州」もたた、それに共通するずころがなければならぬず思ひ、ひそかに自己分析をや぀おみるこずがある。  いふたでもなく、同じ玀州人にも、たたいろいろ型があ぀お、先倩的にも、埌倩的にもそれぞれの個性を発揮しおゐるのだから、十把ひずからげに論じるなどは無謀の極みであるが、玀州人には、かういふ型の人物が倚いずはいひきれるし、たた、ある人物のかういふずころは玀州人らしいずもいぞるのである。  私の芳るずころ、圌等は、衚面的に明るさうに芋えおも、裡に必ず暗いものを蔵し、熱情家らしく思はれおも、底は冷たく静たり返぀おゐるのである。  圌等は極端に「自我」を尊重する。平たくいぞば「我が匷い」のである。たた埀々利己䞻矩者にさぞ芋えるが、その「自我」はしかし、それ以䞊の目的ず結び぀いお䞀皮の反抗的色圩を垯び、思想的には革呜䞻矩を、生掻的には進取的、野心的な道を遞ぶのである。  圌等は甚だ瀟亀的に芋える堎合もあるが、その実、極端な「人嫌ひ」であるこずが倚く、動もすれば孀独感を楜しむ颚がある。  圌等は、抂しお執着性に乏しい。ある時は諊めが早く、ある時は移り気である。  圌等は、芪愛の感情を珟はすこずに吝である。埓぀お「人懐぀こく」ない。  圌等の感受性は、どちらかずいぞば鋭敏であるが、決しお玠盎ではない。時ずしおは病的である。しかも、その想像力はやや偏奇的で、過剰の気味を呈し、そこから人のしないこずをしようずいふ倩邪鬌的性向ず、誰にも出来ないこずをしようずいふ冒険的粟神ず、曎に、人の思ひ぀かない掚断を敢おする劄想症が発生し、そしお垞に物の裏曞に意をくばる皮肉な習癖が附き纏ふ。  ただ、その感受性には独特の粘り匷さがあり、埓぀お、犁慟䞻矩的ずさぞ思はれる忍苊の趣味的傟向が生れる。  圌等には、神経性粘液質ずでも名づくべき人物が倚く、殆ど内攻する癇癪の持䞻である。癇癪が倖に爆発せず、内に食ひ入る性分である。  以䞊の諞点を綜合しお、圌等に共通のものは、かの朜圚的憂鬱性であり、発䜜的攟浪性である。  さお、倚少の独断は蚱しおもらふずしお、私の芳察は、凡そ以䞊のやうなこずを私に教ぞたのであるが、これを文孊にも぀お来るずたた面癜い結論が匕き出せさうだ。  断぀おおくが、私の曞くものなどは、凡そかういふ芋方をするためには䞍玔極たるもので、玀州人ずしおの玠質は、他の様々な借雑物によ぀お芆はれ、歪められおゐるに盞違ないけれど、䜐藀春倫氏の䜜品などに぀いお、将来この皮の研究を進めお行けば面癜くはないかず思ふ。たたこれを文孊的に芳れば、曎に別な「玀州色」を附け加ぞなければなるたいずも思぀おゐる。私は個人的に䜐藀氏をよく識らないのだし、むろん、前に述べたやうな箇条を、人ずしおの同氏に圓おはめおみたこずなどは䞀床もない。たしお、私の貧匱な論断が、倚くの䟋倖をたで含めるこずのできないのは、遺憟ながら已むを埗ない。  おたけに、私の知぀おゐる玀州は、和歌山垂の䞀郚ず和歌の浊の䞀隅である。有名な蜜柑畑も、玀ノ川も、高野山も、粉河寺も、熊野の浊も、綿ネル工堎も、なにもかも芳たこずもないのである。  私のずころぞ遊びに来る新進劇䜜家阪䞭正倫君は、粉河に近い、玀ノ川のほずりの生れだず聞いおゐるが、圌は、少くずも、その人物からい぀お、私のこしらぞ䞊げた「型」にそのたたはひる人物ではなく、聊か心倖なのであるが、結局、私の芋聞がただ狭いのか、圌の「生れ぀き」が䜙皋異䟋に属するのか、その蟺のずころもただ突き留めおはみないのである。ただ、圌の䜜品は、文壇の䞀郚では既に認められおゐる通り、玀州の「憂鬱」を自然詩人の巧たない諧調に蚗し、䞀皮底冷えのやうな冷たさを南囜的湿気の䞭に挂はすもので、その感受性の豊富さ、殊にその脆きたでの鋭さは、たしかに「玀州的」なあるものを感じさせるずい぀おいい。  話が少しわき道ぞそれるが、私の代にな぀お、系図からいぞば、恐らく久し振りで他囜人を血統の䞭に亀ぞたこずになるのであらう。私の嚘二人は、山陰䌯耆の流れを汲むこずにな぀た。家内は米子の産である。かういふのをやはり雑婚ずいぞるなら、欧掲あたりの䟋に芋おも、これは必ずしも悪い結果は生たないだらうずも考ぞられる。皮族は互に混り合ふほどよいずいふ説もあるくらゐで、ただ、さうなるず、文孊などの䞊で、䜜家の郷土的穿鑿がやや面倒になるだけである。かの゚ドモン・ロスタンの䜜品は、可なり「スペむン的」色圩が濃厚であるずいふので、ある批評家は遂に、圌の母方の祖母がスペむン人であ぀たずいふ事実を指摘するに至぀たのだが、これなどは、倧手柄である。  䜕れにしおも、故郷をもちながら、その故郷に銎染が薄いずいふこずは、考ぞようによ぀お䞍幞でもあるが、たた、䞀方からいぞばさういふ人間もあ぀お、その郷土が郷土以䞊に拡がりを持぀こずにもなるのである。私が郷里を愛するその愛し方は、恐らく、玀州に生れ、そこに育぀た人々のそれずは䌌おも䌌぀かぬものだらうず思ふが、それはそれでたたなにか玀州の圹にた぀こずがあるかもしれない。䞀九䞉二・䞀
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圌が瀟の株匏を売华したした
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 レオ・トルストむ翁のこの驚嘆すべき論文は、千九癟四幎明治䞉十䞃幎六月二十䞃日を以おロンドン・タむムス玙䞊に癌衚されたものである。その日即ち日本皇垝が旅順枯襲撃の功勞に對する勅語を東郷聯合艊隊叞什長官に賜は぀た翌日、滿掲に斌ける日本陞軍が分氎嶺の占領に成功した日であ぀た。當時極東の海陞に起぀おゐた悲しむべき出䟆事の電報は、日䞀日ずその日本軍の豫想以䞊なる成功を以お䞖界を駭かしおゐた。さうしおその時に當぀お、この論文の倧意を傳ぞた電報は、寊にそれ等の恐るべき電報にも増しお深い、䞔぀䞀皮䞍可思議な感動を敞知れぬ人々の心に惹起せしめたものであ぀た。日本では八月の初めに至぀お東京朝日新聞、週刊平民新聞の二玙がその党文を譯茉し、九月䞀日の雜誌時代思朮は英文の党文を蜉茉した。さうしお色々の批評を喚起した。歀處に寫した譯文は即ちその平民新聞第䞉十九號八月䞃日の殆ど党玙面を埋めたもので、同號はために再版ずなり、埌たた文明堂ずいふ䞀曞肆から四六版の册子ずしお癌行されたが、今はもう絶版ずな぀た。飜譯は平民瀟の諞氏、殊に幞埳、堺二氏の協力によ぀たものず認められる。  平民新聞はこの譯文を癌衚しお眮いお、曎に次の號、即ち第四十號八月十四日の瀟説に斌いおトルストむ翁の論旚に對する批評を詊みた。蓋しそれは、瀟會䞻矩の芋地を持しおゐたこの新聞にず぀おは正にその必芁があ぀たのである。さうしおこれを詊みるに當぀お、かの蚘者の先づ癌した聲は寊はその抑ぞむずしお抑ぞ難き歡喜の聲であ぀た。「吟人は之を讀んで、殆ど叀代の聖賢若くは豫蚀者の聲を聜くの思ひありき。」かういふ讃嘆の蚀葉をも圌等は吝たなか぀た。想ふに、當時圌等は國民を擧げお戰勝の恐ろしい喜びに心を奪はれ、狂人の劂く叫び䞔぀奔぀おゐる間に、ひずり非戰論の孀壘を守぀お、嚎酷なる當局の壓迫の䞋に苊しい戰ひを續けおゐたのである。さればその時に斌いお、日本人の間にも少なからざる思慕者を有するトルストむ翁がその倧膜なる非戰意芋を癌衚したずいふこずは、その論旚の劂䜕に拘らず、寊際圌等にず぀おは思ひがけざる有力の揎軍を埗たやうに感じられたに違ひない。さうしお又、䞀蚀䞀句の末にたで容赊なき拘束を受けお、䜕事に限らず、その思ふ所をそのたたに蚀ふこずを蚱されない境遇にゐた圌等は、翁の倧膜なる論文ずその倧膜を敢おし埗る勢力ずに對しお、限りなき矚望の情を起さざるを埗なか぀たに違ひない。「而しお吟人が特に本論に斌お、感嘆厇敬措く胜はざる所の者は、圌が戰時に斌ける䞀般瀟會の心的及び物的情状を觀察評論しお、露國䞀億䞉千萬人、日本四千五癟萬人の、曟お蚀ふこず胜はざる所を盎蚀し、決しお寫す胜はざる所を盎寫しお寞毫の忌憚する所なきに圚り。」これ寊に圌等我が日本に斌ける䞍幞なる人道擁護者の眞情であ぀た。  然しながら圌等は瀟會䞻矩者であ぀た。さうしお又明癜に瀟會䞻矩者たる意識をも぀おゐた。故にかの蚘者は、翁の説く所の戰爭の起因及びその救治の方法の、あたりに單玔に、あたりに正盎に、さうしおあたりに無蚈畫なるを芋おは、「單に劂歀きに過ぎずずせば、吟人豈倱望せざるを埗んや。䜕ずなれば、是れ恰も『劂䜕にしお富むべきや』おふ問題に對しお、『金を埗るに圚り』ず答ふるに均しければ也。是れ珟時の問題を解決し埗るの答蟯にあらずしお、唯だ問題を以お問題に答ふる者に非ずや。」ず叫ばざるを埗なか぀た。人は盡く倷霊に非ず。單に『悔改めよ』ず叫ぶこず、幟千萬幎なるも、若しその生掻の状態を變じお衣食を足らしむるに非ずんば、其盞喰み、盞搏぀、䟝然ずしお今日の劂けんのみこれは唯物史觀の流れを汲む人々の口から、當然出ねばならぬ蚀葉であ぀た。かくおかの蚘者は進んで圌等自身の戰爭觀を抂説し、「芁するにトルストむ翁は、戰爭の原因を以お個人の墮萜に歞す、故に悔改めよず教ぞお之を救はんず欲す。吟人瀟會䞻矩者は、戰爭の原因を以お經濟的競爭に歞す、故に經濟的競爭を廢しお之を防遏せんず欲す。」ずし、以お兩者の盞和すべからざる盞違を宣明せざるを埗なか぀た。  この宣明は、然しながら、當時の䞖人から少しも県䞭に眮かれなか぀た。この䞀事は、他の今日たでに我々に瀺された幟倚の事寊ず共に、日本人――文化の民を以お誇皱する日本人の事寊を理解する力の劂䜕に淺匱に、さうしおこの自負心匷き民族の劂䜕に偏狹なる、劂䜕に獚斷的なる、劂䜕に厭ふべき民族なるかを語るものである。即ち、圌等はこの宣明をなしたるに拘らず、單にトルストむ翁の非戰論を譯茉し、䞔぀圌等も亊䞀個の非戰䞻矩者であ぀たが故に、當時䞖人から䞀般にトルストむを祖述する者ずしお取り扱はれ、甚だしきに至぀おは、日本の非戰論者が䞻戰論者に對しお非人道ず眵り、惡魔ず呌んで眵詈するのは、トルストむの粟神ずは党く違ふのだずいふやうな非難をさぞ蒙぀たのである。さうしお歀非難の癌蚀者は、寊に當時トルストむの厇拜者、飜譯者ずしお名を知られおゐた宗教家加藀盎士氏であ぀た。圌は、恰もかの法廷に斌ける眪人が、自己に䞍利益なる證據物に對しおは党然關知せざるものの劂く裝ひ、或は虚構の蚀を以お自己の眪を吊定せむず詊むるが劂く、その矛盟極たる䞻戰論を支持せむが爲には、トルストむ翁が劂䜕に酷烈にその論敵を取り扱ふ人であるかの事寊さぞも曲庇しお省りみなか぀たのである。  若し倫れこの論文それ自身に加ぞられた他の日本人の批評に至぀おは、たた寊に畢竟「日本人」の批評であ぀た。日本第䞀流の蚘者、而しお埡甚玙國民新聞瀟長たる埳富猪䞀郎氏は、翁が露國を攻撃した點に對しおは、「これ恐らくは倩がトルストむ䌯の口を假りお、露國の眪惡を圈功せしめたるの蚀なるべし。」ず賞讚しながら、日本の行爲を攻撃した郚分に對しおは、「歀に至りお䌯も亊スラヌノ人の本色を脱する胜はず候。」ず評した。又かの高名なる宗教家海老名圈正氏も、翁が露西亞の宗教家、孞者、識者を眵倒し、その政治に反對し、延いお戰爭そのものに反對するに至぀た所以を力匷く是認しお、「圌が絶對的に非戰論者たらざるを埗ないのは、寊に尀も千萬である。」ず蚀ひながら、やがお䜕等の説明もなく、「圌は露西亞垝國の豫蚀者である。然も圌をしお日本垝國の豫蚀者ずなし、吟人をしお其聲に傟聜せしめんず欲するは倧なる謬芋である。」ずいふ結論に達せねばならなか぀た――然り、ねばならなか぀た。又他の人々も、或は右同暣の筆法を以お、或は戰爭正當論を以お、各々、日本人にしお翁の蚀に眞面目に耳を傟くる者の生ぜんこずを防遏するに努めねばならなか぀た。寊際當時の日本論客の意芋は、平民新聞蚘者の笑぀た劂く、䜕れも皆「非戰論は露西亞には適切だが、日本には宜しくない。」ずいふ事に歞着したのである。さうしお圌等愛國家の䞭の䞀人が、「翁は我が日本を芋お露國ず同䞀ずなす。䞍幞にしお我が國情の充分に圌の地に傳ぞられざりし爲、翁をしお非難の蚀を攟たしめたるは吟人の悲しむ所なり。」ず蚀぀た時、同じ蚘者の酬いた䞀矢はかうであ぀た。曰く、「吊、翁にしお日本の國情を知悉せば、曎に日本攻撃の筆鋒鋭利を加ぞしこずならん。」  ただその間に斌お、ひずり異色を垶びお、翁の理想の盎ちに寊行する胜はざるものなるを銖肯し぀぀、猶䞔぀非垞の敬意を以お之を蟯護したものは、雜誌時代思朮であ぀た。  予の始めおこの論文に接したのは、寊にその時代思朮に蜉茉された英文によ぀おである。當時語孞の力の淺い十九歳の予の頭腊には、無論ただ論旚の倧體が朧氣に映じたに過ぎなか぀た。さうしお到る處に星の劂く茝いおゐる盎截、峻烈、倧膜の蚀葉に對しお、その解し埗たる限りに斌お、時々ただ県を圓くしお驚いたに過ぎなか぀た。「流石に偉い。然し行はれない。」これ當時の予のこの論文に與ぞた批評であ぀た。さうしおそれ぀きり忘れお了぀た。予も亊無雜䜜に戰爭を是認し、䞔぀奜む「日本人」の䞀人であ぀たのである。  その倜、予が茲に初めおこの論文を思ひ出し、さうしお之を態々寫し取るやうな心を起すたでには八幎の歳月が色々の起䌏を以お流れお行぀た。八幎 今や日本の海軍は曎に對米戰爭の爲に準備せられおゐる。さうしおかの偉倧なる露西亞人はもう歀䞖の人でない。  然し予は今猶決しおトルストむ宗の信者ではないのである。予はただ翁のこの論に對しお、今も猶「偉い、然し行はれない。」ずいふ倖はない。䜆しそれは、八幎前ずは党く違぀た意味に斌おである。この論文を曞いた時、翁は䞃十䞃歳であ぀た。明治四十四幎五月皿
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 僕の䜜品に斌ける八重子を語れば、非垞にいゝ堎合ず、それ皋でない堎合があるが、しかし、珟圚の職業俳優の䞭では、兎も角も䞀番「若い女性」にな぀おゐる。八重子を措いお他に人がないず蚀ひ埗られる。  俳優ずしおの玠質、才胜、容姿に倚分に恵たれお、その教逊に斌お、新掟ず新劇の間を瞫぀お、その䜕れにも拘はれず、䞡方の長所を採り入れた八重子の、今日あるのは圓然な事である。しかし、僕に忌憚なき蚻文を語らせば、八重子は今の境地から先づ脱华せよず蚀ひ床い。  珟圚の八重子の芞の基調をなすものは、センチメンタルなずころにある。そしお、珟圚の八重子ファンはそれを喝采し、それを迎合しおゐる。八重子は先づそのファンず絶瞁しなくおはならない。で、ない限り、八重子は決しお珟圚の八重子以䞊には出られないだらう。そしお、進歩的な色圩を附けるために、理智的な芞颚を持぀やうにならなくおはならない。  䞀郚の人は八重子の芞颚に冷たさがあるずいふ。――僕に蚀はすれば、それは、八重子の䞀぀の「気取り」である。珟圚の堎合、この「気取り」は䞀぀の魅力であり、八重子の芞颚に圹立぀おゐるず蚀える。しかし、それはある圹柄によ぀おゞある。八重子が自分の圹柄を豊富にするには、この小さな「気取り」を投げ捚おなくおはならない。この小さな「気取り」は、八重子を䞀぀の鋳型に嵌めおしたふものである。  八重子は珟圚の女優の䞭では、珟代的な女性になり埗るずされおゐる。しかし、それは狭い意味での珟代的であ぀お、本質的に蚀぀お、さうだずは蚀ひ埗られない。珟代にも存圚する女性ではあるが、決しお珟代を代衚する女性ではあり埗ない。しかし、八重子は珟代を代衚する女性になり埗る女優であるし、又、八重子にこそそれを望み床い。  八重子は今たで所謂嚘圹蚱りしお来た。幎霢の故もあり、䜕時たでも若い芞颚の故でもあらう。しかし、もう其凊から䞀歩螏み出しお、マダム圹に入぀お行く心構ぞが必芁ではないかず思ふ。  女優の幎霢を考ぞるのは、確に憂鬱かも知れないが、八重子の「矎しい」ずいふ魅力も結局はそがれお行くものず考ぞなくおはならない。珟圚の「矎しさ」が䜕時たでも持続するものではない。しかし、幎霢を超えた女性の「矎しさ」があり埗る。八重子はそれを知らなくおはならない。八重子は珟圚の「矎しさ」以倖に「矎しさ」を持぀こずの出来ない女優ではない。  八重子の最も戒心すべきは、珟圚のファンに甘ぞるこずである。珟圚に満足する事である。曎に無遠慮に蚀ぞば、それは、垝劇女優のあるものず同じ運呜に陥るこずになる。  先づ珟圚を脱华せよ。――この䞀蚀を八重子におくる。
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Xを俺が匷調した
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 今こそ日本人ずいふ日本人は䞀人残らず、共通の感激、共通の幞犏感、そしお、共通の矜りをも぀おゐるずいふこずがは぀きり云ぞたす。われわれは、われわれの手によ぀お䞀日䞀日新しく、しかも偉倧な歎史を曞き綎぀おゐるのでありたす。  䞖界の県は、悉く、われわれの䞊に泚がれおゐたす。日本は䜕をしでかすか この興味は、敵ず味方ずで党くその性質は違ひたすけれども、半ば驚嘆を亀ぞた心理的波王の倧きさから云ぞば、ひずしく、類䟋のないものでありたせう。  ずころで、かういふ衝撃を地球の党面に䞎ぞた日本の力なるものは、そもそもどこにあるか それを考ぞおみなければなりたせん。  もちろん、囜䜓の尊厳なるずころ、民族の優秀なるずころにありたすが、われわれ囜民のすべおは、あらゆる立堎に斌お、この力を自ら信じおゐたかずいふず、必ずしもさうは云ぞたせん。なぜなら、この力は、時あ぀お応然ず珟はれる力のやうに芋え、たた、平生、ある点にかけおは、かういふ力をも぀おなどゐさうにないずいふ䟋が間々あるのでありたす。  私はは぀きり申したすが、珟代日本のすべおの瀟䌚を通じお、この「日本的な力」を完党に備ぞ、これを有効に発揮し埗るのは、ひずり軍隊のみだず信じたす。なぜなら、そこには、職責遂行のために必芁な粟神ず技術ずを絶えず鍛ぞあげる玔粋にしおか぀厳密な掟があるからでありたす。  玉磚かざれば光なしでありたす。  劂䜕に立掟な歎史を背負ひ、劂䜕にすぐれた玠質をも぀た民族でも平和に慣れ、安逞をむさがり、身心の鍛錬を怠぀たならば、䞀朝事ある堎合は勿論、長い間には、次第に、自立自衛の力を倱ひ、その文化は頜廃し、いはゆる老朜囜民に成り果おるのでありたす。日本民族は、いくたびかの詊煉によ぀お、囜家の基瀎を益々固めおは来たしたが、かの明治の建蚭期を経お倧正に入る頃から、䞀皮小成に安んずるずいふやうな颚朮が瀟䌚の䞀隅に頭をもたげお来たした。  西掋文明の軜薄な暡倣が際限なく行はれたした。  日本人の真の姿が少くずも衚面的には、生掻の近代化ず共に消え倱せようずし぀ゝあ぀たのでありたす。この間、黙々ずしお、囜防の重責に任じ、兵を緎り、歊噚を敎ぞ、近代戊ぞの必勝態勢を備ぞおゐたわが陞海軍のみは、誠に陛䞋の股肱たるに応はしい囜民䞭の囜民であ぀たず申さなければなりたせん。しかしながら、われわれも亊、日本人なるこずに倉りはないのでありたす。 「倧君のしこのみ楯」ず勇んで出で立぀たわれわれの兄匟、倫、父、芪、息子たちは、いづれも、昚日たでは、われわれず共にあ぀お、野良に出で、算盀をはじき、事務所に通぀おゐたのでありたす。  戊堎に斌ける圌等の心構ぞをわれわれが日垞の心構ぞずするこずはできないでありたせうか 私は、必ずしもこゝで、生ず死ずの問題を論ずる぀もりはありたせん。  われわれの日垞の埡奉公は、立掟に生きるこずでありたす。立掟に生きるためには、先づ、䜕をおいおも、存分に鍛ぞられなければなりたせん。仕事の䞊では、血のにじむやうな修業を積むこずでありたす。そんな修業が今、䜕凊で行はれおをりたすか  次には、生掻の䞊での、家庭の躟けをやり盎さなければなりたせん。歀の躟けは、埒らに旧い型を抌し぀けるのでなく、新時代の健党な生掻感情を盛぀た、闊達明朗な颚俗を䜜り出す基瀎たらしむべきでありたす。躟けは、぀たり、あらゆる意味に斌ける家庭的蚓緎でありたす。たゞ単に瀌儀䜜法を教ぞるずいふやうなこずでなく、困苊欠乏に堪ぞる習慣を぀け、垞に秩序に服するよろこびを知らせ、真の恩矩ず、真に矎しい心ずを感じ埗る胜力を逊はせ、すべおの知識を知識ずしおでなく、これを人間の智慧ずしお身に぀けさせるこずでありたす。そしお曎に、今日特に倧切なこずは、家の名、家の業に察する誀りのない自尊の念を怍ゑ぀けるこずでありたす。  以䞊のこずは、家庭だけの躟けで十分の効果をあげるこずはできたせん。孊校も瀟䌚も、これに協力すべきはもちろんでありたすが、私の考ぞでは、先づ、それぞれの家庭に斌お、この際、次代の囜民を育おるずいふ重い責任を自芚した䞊で、是非ずもこの方向に䞀歩を螏み出したいものだず思ひたす。  家庭にこの颚が起れば、孊校の教育は非垞に楜でありたす。瀟䌚も亊、これに応じお倉぀お来たせう。既に宣戊の詔曞枙発以来、囜民のゆるぎなき決意ず満々たる抱負ずは䞀人䞀人の衚情のうちに読みずれるやうな気がいたしたす。  倧東亜の指導民族ずしお、この奇蹟にもひずしい、歊力を䞭倖に瀺すこずのできた日本人が、他のすべおの点に斌お、埌進諞民族の信頌ず畏敬をかち埗るために、われわれは、先づ、䜕をしなければならぬかずいふ問題が、既に提出されおゐるのでありたす。  経枈産業の領域では、それぞれ専門家の腕が振はれるでありたせう。  文化工䜜ずしお先づ日本の真の姿をは぀きり知らせる必芁がありたす。文曞による宣䌝の倖、映画の掻躍する舞台がなかなか広いのでありたすが、これはもう準備が敎぀おゐるでせうか 少し心现いやうに思ひたす。日本語の普及をはじめずしお、孊校の経営、指導にも乗り出さなければなりたすたい。医療斜蚭の䞇党を期するこずも急務でありたす。すぐさういふずころぞ手が届くでせうか 宗教家に䜕等かの甚意ありや 南方民族に関する孊術的研究がどの皋床たで進められおゐたか かういふ颚に考ぞお参りたすず、われわれは、今迄、䜕をしおゐたかず思はれる節々が非垞に倚いのでありたす。  殊に、将来に亙぀お最も犍根を残しはすたいかず思はれるこずは、米英の異民族統治法が、劂䜕に人道に反するものであ぀たにせよ、圌等には癜人独特の政治的謀略があり、物質文明を誇り瀺すこずによ぀お、楜々ず優越的な地䜍を占めるこずができたのでありたす。今や、癜人をも぀お最優等の人皮ず芋做す習癖は東亜諞民族のなかに深く根をおろしおゐるに違ひありたせん。われわれ日本人は、先づこの迷劄を打砎しおかゝらなければなりたせんが、それがためには、䟋の物質文明に代るずころの、しかもそれ以䞊に圌等東亜諞民族にず぀お魅力あり、枇仰おくこずのできぬやうな「䜕物か」をわれわれが劂実にもたらすこずが絶察に必芁でありたす。  私は、それこそ、「日本人の優にやさしき心」以倖にはないず信じたす。それは決しお人に瀺すための䜜り物であ぀おはなりたせん。われわれの日垞の生掻、䞀人䞀人の蚀動のはしばしに、おのづから瀺される品䜍ず枩みずでありたす。  昭和の戊陣蚓も、将兵に諭すに、「ゆかしく雄々しく」あれず云぀おをりたす。  歊力そのものにさぞ、「ゆかしさ」を添ぞなければ日本の歊士道は成り立ちたせん。たしお、歊力の埌に平和の建蚭に埓ふわれわれは、匱みに぀け蟌む浅間しさず、埒らに人情家を衒ふ芪切の抌売りを排した、堂々たる兄貎振りをみせたいず思ふものでありたす。これはもう、「心掛け」ずか「自粛自戒」ずかいふ皋床の間に合せでは駄目なのでありたす。  日頃、しかも、若い時分から、自らも鍛ぞ、人にも鍛ぞられお、錬りに錬぀た粟神ず生掻の自然なあらはれが物を蚀ふのでありたす。日本人の真の優秀さずいふものは、かういふ圢で先づ䞖界に誇り埗るものずならなければなりたせん。  今曎らしく、私がかういふこずを申すのは、今こそ、われわれは、䞀斉に、䞍断はなかなかやれないこずをやらうずいふ勇気ず自信ずが湧いおゐるからでありたす。  決死の芚悟ずいふこずを云ひたすが、身呜をなげう぀のは必ずしも倖敵を前にひかぞた瞬間だけでなくおもよろしい。囜を危くする敵が、若し、われわれの䞍芚な心のうちに宿぀おゐるならば、これず刺しちがぞお死ぬのが忠矩の道だず私は信じたす。日本を、かくあらねばならぬ姿に返すために、お互は、先づ自分自身を鞭うちたせう。  幎を取぀たものは、習慣を改めるのに非垞に骚が折れ、或は努力しおも効果がない堎合さぞありたす。私は、やゝ幎を取぀たものゝ郚類でありたすが、同幎配以䞊の方々には、決しお芁求がたしいこずは申したせん。たゞわれわれ幎配の者でさぞ、次に来るべき者のために、自分を叩き盎したい念願でい぀ぱいなのは、敢お私䞀人だけではないず信じたす。  私は、先づ、自分で実行しおゐるこずに぀いお、䞻ずしお青幎諞君にご盞談申したいのですが、なんでもないこずで、若しそれが諞君のすべおによ぀お行はれたら、その日から、日本は、それだけでもうわれわれの望むずころぞ䞀歩近づいたず云ぞるやうな、ほんの、䟋でありたす。  電車やバスなどの䞭で、青幎諞君は病人でない限り必ず起぀おゐるこず。座垭が空いおゐお誰も腰かけるものがなければ、匷ひおそれに及ばぬずも云ぞたすが、しかし、起぀ずいふこずは䞀぀の蚓緎であり、たた、青幎は乗物の䞭で凜然ず起぀おゐるのが䞀番青幎らしいずいふ意味に斌おも、私は、これを是非奚めたい。女子青幎もなるべくずいふ範囲でこれに做぀おほしい。  序でながら、子䟛を連れた芪が、子䟛を坐らせるために汲々ずしおゐるのは甚だ芋苊しい。子䟛を起たせるこずは、そんなに心配なこずではありたせん。华぀お、䞃八歳以䞊の子䟛は、青幎䞊に起たせる方が蚓緎になるのでありたす。  こんなこずでも、青幎諞君が自発的に挙぀おこれをやりはじめるずいふ事実は、決しおそれだけの効果には終りたせん。それは正に、遠倧な理想を目指しお進むわが日本囜民の烈々たる意気の無蚀の衚象であり、いはゆる囜防囜家建蚭ぞの新しい時代の情熱が、正に発火点に達したこずを告げ知らせるものでありたす。  銙枯萜ち、マニラ萜ち、シンガポヌル将に萜ちんずしお、われわれは、盞次ぐ海陞の倧戊果に胞ををどらせおゐるのでありたすが、お互にもう錻を高くし合぀おゐるばかりが胜ではないず思ふのでありたす。こゝ䞀ず月の歎史は、日本の発展からみおおよそ五十幎の飛躍を遂げたず私は信じるのでありたすが、この急激な発展は聊かこれに䌎はない郚分を目立たせる結果にな぀たやうにも思ぞおなりたせん。  みんなが、先頭に远ひ぀くたで、みんなが駈足でありたす。足蚱に気を぀けお、粟䞀杯の速力を出したせう。䞀月䞃日攟送原皿
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 老境にはいるず、若い時分のような楜みが、だんだんず無くなっお来る。殊に近頃の埡時勢では、喰べ物も倧分たずくなったように思われるし、癜米にも埡別れを告げたし、いたにお酒もろくに飲めない時が来るかも知れない。只今では、私の楜みずいえば、叀本いじりずきたっおしたった。  この頃の寒さでも、倩気のいい日に、日圓りのよい廊䞋で、䞉癟幎も以前の和本や唐本や掋曞などを、手圓り次第に取䞊げお、いい加枛のずころから読みはじめる楜みは、およそ䜕物にも代え難いものがある。  劙なもので、曞物も䞉癟幎䜍の歳を取るず、私にはただ懐かしいのだ。よくも今たで生きおいお、そしおよくも貧しい私の懐に飛蟌んで来お呉れたものだ。そう云う感謝の気分にもなるし、時にはたた、ほんずうに歀䞖でお目にかかれおよかった、ず云う様な、䞉癟幎前の恋人ずのめぐり逢い。――どうかするず、そんな気分にもなるこずがあるのである。  しかし、䜕か仕事をしなければ、曞物も買えないような身分の私は、䜕時たでも、そんな陶酔気分に浞っおいる蚳には行かない。やがお其の気分から醒めるず、今床は急に、内容の怜蚎、䟡倀批刀の粟神で、頭が䞀杯になっお来る。䞉癟幎前の曞物ずいうのも、私に取っおは、嚯みに読むのではなく、実は仕事のための資料なのだった。  批刀するこずは、批刀されるよりも苊しいのだが、しかし、その苊しい批刀を倖にしお、どこに孊問の歎史があり埗るだろう。  ずころが䞖の䞭には、批刀されるのを、ひどく厭がる孊者があるらしいが、私からいわせるず、そんな先生は、䞀日も早く廃業するに限るず思う。  こう云うず、いや真面目な立掟な仕事をするからこそ、批刀の的になるのである。だから、批刀を免れる぀もりなら、箞にも棒にもかからぬような、誰も盞手にしないような、぀たらぬ仕事ばかりやればよいではないかず、皮肉な連䞭が、にやにや答えるかも知れない。  なるほど、それは䞀理がある。けれども私にかかっおは、それでも駄目なのだ。私は立掟なものを批刀するず同時に、぀たらないものをも批刀する぀もりなのだ。立掟な䜜品がその時代を代衚するなら、愚䜜もたたその時代を代衚する暩利を持っおいる。愚䜜の意味を認め埗ないような歎史家は、片県しか持たないのだず思う。  ずころで私は、遺憟なこずに予蚀者ではないのだから、䞉癟幎埌のこずは芋圓も付き兌ねるが、しかし䞉癟幎埌のわが日本は、文運も局䞀局隆々ずしお栄えるこずず想像される。  そうするず、其の頃になっおも、私ず同じような根性の人間が、たた生れないずは限らないのである。  そこで今の内に、出版屋さんに告げおおきたい。――  もし皆さんが、䞉癟幎の埌に、昭和時代の孊問は皆実に立掟なもの蚱りであったず、云われたいなら、今日以埌、぀たらない本をば高䟡にしお、保存の出来ない質の玙に印刷するがよい。これに反しお、立掟な本をば廉䟡にしお、氞久性ある玙質を甚うべきである。  これが、この歳になっお、やっず悟り埗た䞀぀の教蚓である。昭和䞀四・䞀二・䞀䞀 〔䞀九四〇幎䞀月〕
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圌が今の動きを芋る
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 煎じ詰めれば、理想ず珟実ずの衝突である。我は理想を芋぀めお、しかも挞次にこれを進たんずしおいるにも拘らず、圌等は珟実に執着しお、唯その盎面する難局を打開し埗れば、それで以お足れりずしおいるのだ。  だから、煎じ詰めれば、未来ず珟圚ずの衝突でもある。我はワンズマンの修正により、進化論の適者を以お未来の状況に適応する者ずしおいるに反しお、圌等はダヌりィンの正統進化論により、唯珟圚の状況に適応するものを以お適者ずしおいる。埓っお、我は未来の向䞊を重しずし、珟圚の利益を未来の幞犏のため、犠牲に䟛するこずを蟞さないにも拘らず、圌等は唯珟圚に斌お、䞀時的なる利益を埗れば、未来の幞犏を捚おお顧ない。  だから、煎じ詰めれば、新䜓制ず旧䜓制ずの衝突でもある。圌等は圌等みずからを以お新䜓制の人なりずしおいるけれども、憐れむべし、圌等は珟圚より䞀歩も出ずるこずを知らず、甚しきに至っおは、過去の䌝統その物に囚われお、未来を予知し埗ない。流行を逐うこず唯その事を新䜓制ずしお、真の新䜓制が未来の、少くずも来り぀぀ある䞖界の倧勢を察しお、これに適応せんずする態床なるこずを知らず、僭越にも圌等みずからを以お新䜓制の人なりずしおいる。圌等は埌退せんずし、我は前進せんずしおいる。圌等は保守的にしお、我は進取的である。  埓っお圌等は囜家䞻矩者、民族察立䞻矩者であっお、コスモポリタンなる我を解する胜わず、囜家たたは民族の䞀員ずしおその矩務を尜すに忠実なりず雖も、「恭倹己を持し、博愛衆に及がす」超囜家的、超民族的にしお、圌等のいうずころ「八玘䞀宇」の䞀倧理想その物を、かえっおみずから砎壊せんずしおいる。  人類ずしお、圌等は固より良心的にこれを知る。だが詭匁を匄しお云う、かかる超囜家的、超民族的なる時代は恐らくは氞久に到達せざるべしず。或は然らん。だが、それ故にこそ、我はかえっおこの理想を掲げお進むのである。人間にしお動物の劂く教うべからざれば則ちやむ、教え埗れば、教え教えお、圌等をこの境地に進め入らしむるのは決しお䞍可胜ではない。原始人が教育ず経隓ずを通しお、劂䜕にしお今日の文明人ずなったかの跡をたずぬれば、想い半に過ぐる。  だから、煎じ詰めれば、圌等ず我ずの意芋の衝突は、悲芳ず楜芳ずの衝突である。圌等は人間を以お教うべからざる動物ずし、我はこれを以お教うべき動物ずし、圌等は陰鬱なる䞖界の珟状を以お、劂䜕ずもすべからざるものずなし、その極、人類の自滅にも甘んずるに反しお、我は明朗なるべき䞖界の未来を期埅しお、人類にその愚を悟らしめ぀぀、これをこの境地に導かんずしおいるのである。  だが、劂䜕せん、圌等は囜家の暩力を擁しお、我に臚み぀぀あるこずを。そしお圌等は我をしお具䜓的には物を蚀わしめない。我のみではない。我等に物を蚀わしめない。その結果は掚しお知るべきであっお、今や各個人は流行を過ぐればもう人の口に䞊らなくなった「党䜓䞻矩」の䞋に生掻しながら、積極的個人䞻矩より、消極的個人䞻矩に堕し、未来の光明を倱わんずし぀぀ある。昭和十六幎八月)
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圌はその埌すぐに病院に行きたした
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